しゃおれんの旅日記

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世界遺産三内丸山遺跡に行ってきました

土偶か埴輪かと聞かれたら断然埴輪派なのですが、世界遺産ハンターとしては「北海道・北東北の縄文遺跡群」はぜひとも行きたいところ。

規模が大きく公共交通機関でも行きやすいところということで、青森市三内丸山遺跡に行ってきました。

七戸十和田まで新幹線に乗り、十和田市現代美術館を見学して妹と会ってから、青森に移動し青森に泊まりました。遺跡に行ったのは二日目の午前中です。

 

朝食は魚菜センターのっけ丼

駅からも近い

以前バス旅で太川陽介さんが食べて気になっていたのっけ丼。

開店前からお店の前には行列ができてすごい人気ですね。

チケットの値段が変わり、10枚2000円、5枚1100円。

ネタによってチケットの枚数は色々

ご飯でチケット1枚、あとはネタによってチケットは色々ですが、一人で10枚は多いかなと思い5枚にしてしまいましたが、残してもいいから豪勢に行っちゃえばよかった。

(私はウニなどの高いネタが好きでないし、量もそんなにいらないと思った)

味は美味しかったけど、かなり貧相。ケチケチ心が悔やまれます。

ホタテとサーモンと中トロ

同じように5枚にした女性がそばにいたけど、そちらも貧相な丼でした(笑)

 

三内丸山遺跡への行き方

青森駅からはねぶたんという周遊バスがありますが、始発が9時。

9時開館から見学したい私は市内の路線バスで行きました。

青森駅前6番乗り場から、8時発の美術館線S51。

ただ、これが遺跡についたのって8時35分。9時までみんなで寒い中ぼんやり待ちました。

結構同じように早いバスで来る人いるので、もっとちょうどいい時間にバスを走らせてくれないかしら。

朝方は曇っていて寒かった

ガイドツアーに参加

9時に開館して、みんなやっと中へ入ります。

社会科教員免許を持つ私、縄文時代の定義が私の子供の頃とはガラリと変わっているけど、アップデートはしているつもり。

三内丸山遺跡についても予習はかなりしてきたけれど、現場でしか聞けない話もあるかもとガイドツアーに参加しました。

トンネルを抜けると遺跡復元地域

縄文時遊館(中にはシアター、展示室、整理作業室、お土産屋さん、レストランなどがある複合施設)を通って外へ出ると、東京ドーム九個分42hの広大な敷地に縄文の村が再現されています。

何度もテレビで見た掘立柱建物が遠くに見えてテンション上がります。

ガイドさんに30人くらいでついて行く

世界遺産になるまで

そもそも、江戸時代からこの遺跡の存在は知られていました。

が、平成4年から始まった野球場の建設のために発掘調査をしていたら、これまでの採集生活で移動をしていたという縄文時代の定説が覆されるような発見がありました。1000年以上も大人数で定住している巨大な集落跡が見つかったのです。

当初は一通り調査したら記録し埋め戻す予定でしたが、世紀の大発見に野球場建設どころではなくなり、遺跡保存の機運が高まったと言うことです。

そして、2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」という世界遺産の構成遺産の一つに登録されました。

紀元前3900年から紀元前2200年頃に、定住生活をしていた拠点集落とされています。

 

縄文時代は今よりも気温が高く海がすぐそばまで迫っていました(縄文海進)。

貝や兎、むささびなどの小動物が多く、鹿や猪などの大物の骨の出土は少ないです。

多様な果実や種子も見つかり、黒曜石や翡翠などの発見から遠隔地との交易を行っていたことも分かります。

(これがいつも不思議。地図も文字ももたない古代人が遠くの地方とどうやって交易できたのか。色々調べたり人に聞いても納得のいく答えがない)

 

墓や祭祀の跡も見つかり、文化的な生活をしていたこともわかっています。

研究でだんだんと分かるって素晴らしいですね。

湿地帯にあったので腐らずに残っていた縄文ポシェット(編んだ籠)



ガイドさんは残念ながらハズレ

ガイドさんがツアー中に「あそこが一塁ベース、あそこに三塁ベース、7割方できていた」「プロ野球ができるような野球場がないのは青森くらいだけど、私はこの遺跡の方がいい」という話を3回くらいするので閉口します(笑)

最初の時は微笑ましく聞いたけど、いくらウケても3回は多い。

 

大型掘立柱建物

三内丸山遺跡のシンボル的存在。

大型掘立柱建物(復元)

柱穴と柱が見つかったことから、この規模の建物を作っていたということがわかったそうです。

柱穴は直径深さとも約2mで、直径1mの栗の柱が残っていました。

地中の湿度が高く保存状態が良かったのです。

復元建物の横に建物跡の展示あり(中にある柱はレプリカ)

穴や柱にかかっていた圧力から柱の高さは約15mと推定されました。

栗は丈夫で虫もつきにくいし、柱の表面を焼いて腐らないようにしていたそうです。

古代人もそういった知恵があったのですね。

栗の木は、建物に使うためだけではなく、食べるように植林していたともいいます。

採集だけでなく、栽培もしていたんですね。

私の子供の頃の「不安定な採集生活の縄文時代」の記述は今ではありません。

高さは15m、直径約1m、柱の間隔は4.2m

復元に使われた栗の木はロシア産だと言いますが、これを結んでいる蔓は何の植物かしら?(それとも復元の蔓は樹脂か何か?)

これだけの太い木を結ぶということは長さも必要だし、巨大な建物を維持するには強度も必要。縄だとすれば素材は何?

ガイドさんに移動中に「あのつるは何ですか」と聞いたら不機嫌そうに「これから説明します」と言われ待っていたけど、結局答えはなかったのでネットで調べればいいやと思っていたら、未だに見つけられないです。

 

ここでガイドツアーを離脱しました(このツアーは離脱自由と開始前に言われたので)

後は自分で解説板を読みながら見学しました。

太い木を結んでいたあの蔓は何でしょう。

藤蔓?青森のような寒いところで藤って育つ?

どなたか教えて下さーい。

 

大型竪穴建物

集会場や儀式の場として使われたと考えられます。

長さ約32m、幅約9.8mで日本最大(紀元前約2800年)

内部はかなり広い

内部の柱もやっぱり焼いてあります。

縄文のムラ遠景

高床式建物や竪穴式住居、盛土の跡などを見学しました。

北盛土

たくさんの土器や石器が土と一緒に捨てられた場所。

南盛土

南盛土は断面がわかるように展示してあります。

竪穴式住居の復元

ミュージアムの展示は充実

見学を終え、時遊館に戻り初めに見られなかった紹介映像8分を見ます。

遺跡のことがざっくり分かります。

展示品は修復してあり、すべて本物。

有名な土偶

手前にあるのが木柱

解説板

見つかった栗の木も遺跡内にあるのはレプリカでこちらが本物。

土偶はみんな口があんぐり

石のネックレスって・・・おしゃれも大変

石器や土器などを見る。

縄文土器ずらり

装飾がある縄文土器だなあと思いながら。

古墳マニアなので、縄文土器よりは須恵器のほうをよく見ます。

 

ビッグウォールに感嘆

1列約320個、1面に約5120個、6mの巨大な地層復元

すごいなあと思ったのが、ビッグウォール。

この地に1000年以上にわたって定住していたので、土器など日用品が廃棄されて堆積していました。

それが再現されている壁。

下の時代のものは黒っぽく、だんだんと明るい色の土器になるというのもへぇーと。

修復作業も何段階もあるのですね



修復作業をされている研究員の方を見ることができるのもマニアとしては嬉しい。

(史学科を出ている私は学生時代、発掘実習に行きました。2週間の間、掘ってもでてきたのは水だけ。にじみ出た水をスポンジで吸い取りながら掘り進めていました。

洗い作業とかしたかったなあー)

 

レストランと土産物屋さん

ミュージアムグッズでは本などの資料だけでなく勾玉作りやミニ土偶作りキットなども売っています。

その他に、青森のお土産屋さんもあります。

縄文うどんには栗、どんぐり、長芋が練りこまれている

夏ならいいけど、この日は寒かった・・・

「五千年の里」というレストランでは、遺跡っぽいメニューもありますが、私は「ソフト栗夢・極」を食べました。栗ソフトだけでなく、マロンペーストや黒豆、白玉なども入っていて美味しかったですよ。

鉄人28号くんと一緒に

ただ、こういうところの常としてちょっとコスパ悪いかな?

 

本当はこの後隣接する青森県立美術館に行きたかったのですが長期閉館中でした。

調べが足りなかった・・・

 

この三内丸山遺跡は公共交通機関でも十分いけるけど、他の縄文遺跡はどこも駅から遠い。かといってペーパードライバーを卒業する気力はない。

他にも見たいところはたくさんあるけど、なかなか難しいです。

三内丸山遺跡は縄文海進のために海の傍の遺跡ですが、秋田の内陸などの縄文遺跡は何を食べていたのか?とか出土した土器はどんなもの?気になります。

 

大湯環状列石と伊勢堂岱遺跡なら何とかいけるかな。