しゃおれんの旅日記

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西国巡礼その1京都④16番清水寺17番六波羅蜜寺

亡き夫さんと自分の「極楽往生」を祈願して西国三十三か所めぐりを始めました。

17番六波羅蜜寺への行き方

21番穴太寺前からバスでJR亀岡駅まで戻り、嵯峨野線で京都に戻ってきたのが15:55。

これから、17番六波羅蜜寺(17時閉門)と16番清水寺(18時閉門)を周ります。

京都駅は平日なのに、大混雑。

バスも混んでいました。今後入国規制が緩和されたら再び外国人旅行者も増えて以前のような激混みになるのかと少し憂鬱に。

 

清水道バス停についたのが16時15分ごろ、そこから5.6分で17番六波羅蜜寺に到着です。

以前空也上人像や平清盛像が見たくて訪問済みなので、今回は宝物館には行かず本堂のお参り、蝋燭とお線香の献納、納札を納めて、納経印を頂くだけにしました。

清水道バス停の交差点から5分ちょっとで見えてきます

17番六波羅蜜寺には山門はありません

縁結び観世音菩薩と願いが叶う一願石

17番六波羅蜜寺の縁起など

六波羅蜜寺の納経印

ご本尊 十一面観世音菩薩(御開帳は辰年

「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」

縁起

「市の聖」と呼ばれ慕われた空也上人が開山。天暦5年悪疫退散のため自ら刻んだ十一面観音を市中に曳き周り念仏を唱え病魔をしずめた。当初は「西光寺」、後に仏教で六種の修行を意味する「六波羅蜜」に寺号を変更。平家没落時に本堂を残して焼失、たびたび戦火により焼失するも、秀吉や徳川家によって再興された。

空也上人像、平清盛像など重文

 

 

六波羅蜜寺から16番清水寺

17時半を過ぎると観光客も帰ってくる方が多くなってきました。

それにしても、これほど歩きやすい清水坂って・・・私が学生の頃以来じゃないかと思うほど久しぶり。

清水寺に着くころにちょうど夕立が来て一気に人も減りました。

この写真は帰りに晴れたので撮り直したもの

轟門

門をくぐって出世大黒天さまの横を通っていよいよ清水の舞台です。

雨なので誰もいない

こんなにすいている清水の舞台は初めて見ました。

音羽の滝を見下ろします

納経印は本堂ではなく、本堂の裏手、地主神社の方へ行く途中の納経所で頂きます。

今度は奥の院から舞台を見ます。

少し色づいている葉も?

鉄人28号くん

鉄人28号くんを取り出して写真を撮っていたら、隣の欧米人家族に大うけだった。

 

子安塔のほうまで歩いて正面から舞台を見る。

清水の舞台と三重塔

清水の舞台にいるときに、こちらから手を振っている人が数人いました。

そのためか、この子安塔のところで私が写真を撮っていると女子グループが「さっきみたいに私たちも手を振ろうよ」と言って舞台の人たちに手を振っていました。

「えー、誰も手を振ってくんなーい」「ひどいよねー」と文句言っていました。

 

音羽の滝

こんなにすいている音羽の滝は初めて見ました。

3本に分かれていて、「延命長寿」「学問上達」「恋愛成就」とご利益があるそうですが、先日見た林先生の出ていた番組で「元が同じ泉だから効能はどれも同じ」と言っていましたよ。

 

雨がやんで青空

16番清水寺の縁起など

清水寺の納経印

ご本尊十一面千手千眼観世音菩薩(33年に一度御開帳)

「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん」

縁起

宝亀9年延鎮上人が開山。2年後この地で鹿狩りをしていた坂上田村麻呂と出会い、殺生の罪深さを説き、田村麻呂は仏法に帰依し仏殿を寄進した。その後桓武天皇の勅願所となり鎮護国家の道場として発展。

高さ13mの清水の舞台のある本堂を始め多くの国宝あり。

 

 

こうして参拝を終えて帰路に就いたのはすでに18時少し前。

参道のお店はほとんど閉まっていて食べ歩きもできず。(行きは間に合わないといけないと我慢していたので)

 

この後は歩いて八坂神社を経由して烏丸の大丸のデパ地下でお弁当が30%引きになっていたので、夕食に。

お酒が飲めないので飲み歩くこともせず、一人旅の時はお弁当を買って汗を流してからゆっくり部屋で夕食をとるのが好きなんです。

こうして、一日目は終了。

二日目も朝から活動しましたよー。 つづく