2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条義時ゆかりの地伊豆長岡。
今年のうちに言っておこうと思いまして。
観光の脚は
前回の記事を参考にしてください。私はシェアサイクルで周りました。
xiaorentraveldiary.hatenablog.com
観光案内所でもらった「北条家歴史散策マップ」を見ながら自転車で周りました。
案内板や幟があるので迷うことはないと思います。
蛭ケ島公園
流罪となった源頼朝が34歳まで過ごしたとされる場所で現在は駐車場もある公園になっています。今は頼朝、政子像があります。晴れていたら富士山を見ているはずなのですが・・・。この公園には軽食が食べられる休憩所があります。
豆塚神社
交通量の多い交叉点にある小さな神社。
北条義時が再建したとされる古刹。歴バスだと停留所からちょっと歩きます。
珍場神社
このあたりは「江間」という地名で、義時ゆかりの地です。義時は「江間小四郎義時」と名乗っていました。
義時が息子安千代の死を嘆き、若宮八幡神として祀ったのがはじまりとのこと。江間いちご狩りセンターのあたりが安千代が大蛇に襲われた伝説のある池があったところ。安千代は歴史書には載っていないのですが、伝説が多く残っているので実在したのではとありました。
大師窟
7-8世紀につくられた横穴墓(北江間横穴群太子山)。義時がお経を納めたという伝説があります。道沿いにこの看板があっても、入口が幅1mくらいの細い路地を入り、3分ほど山道を登っていくので分かりづらいです。
階段を上り、少し登るとありました。
北条寺
拝観料(文化財保護のため)500円。
義時が建立し、時政・政子も信仰したと言われる北条氏ゆかりの寺。阿弥陀如来坐像(県指定文化財)は慶派の作。個人的には同じ県指定文化財でも木造観世音菩薩座像のほうが柔和な表情で好みでした。
政子が奉納した牡丹鳥獣文繍帳は豪華な刺繍が目を引く繍帳でした。中国で作られたものを奉納しました。
この幟を頼りに観光できます。
義時館跡
江間公園という公園の一角にあります。
政子の産湯の井戸
江間から狩野川を越えて北条の里へやってきました。
史跡北条氏邸後(円成寺跡)
鎌倉時代の建物跡や井戸が見つかり、年代から時政の館とされます。中国陶磁器やかわらけなど多数発見されました。
北条氏滅亡後はゆかりの尼僧により一族を鎮魂するため円成寺が立てられました。透明案内板の印を現地の杭の位置に合わせるという工夫が面白かったです。
この北条氏邸から、頼朝がいたとされる蛭ケ島は近いです。やってないですが、自転車で直行したら30分以内で着けると思います。馬ならもっと近い?
そりゃあ、こんな近くに源氏の嫡流が流されていたら気になりますよね。
真珠院
北条氏邸から狩野川沿いにサイクリング。高校のところから川を離れて道なりにいくとありました。
頼朝の最初の妻八重姫を供養する御堂があります。真珠ケ淵に身を投げたとされ、ハシゴがあったら助けられたのにと小さなハシゴが奉納されています。(写真階段右横)
こちらの説明では、頼朝が政子と結ばれたので八重姫は悲しんで入水したとされて悲恋の話になっていました。
御堂には新垣結衣さんのイラストや撮影時の写真などが飾られていました。今回どうしても義時という文字を見ると小栗旬さんを連想してしまいます。
願成就院
拝観料700円
北条氏の氏寺。時政、義時、泰時の三代にわたり平泉の毛越寺のような大伽藍の寺を作りました。(現在は本堂とその周りしか残っていません)
運慶の木像阿弥陀如来坐像を含む5体の仏像があり国宝です。
本堂の仏像の説明をしてくれたのが外国の方で「にょらーいが」というようにアクセントが強くてちょっと面白かったです。ガイドをするほど仏像が好きなんだと感心。
本堂の横の小さな資料館には時政像があり(よく教養番組で「北条時政」として紹介される像)「ここにいたんだ!」とちょっと嬉しくなりました。
境内には時政の墓もあります。
それと、境内に人物石像が多数あってちょっと怖いのですが、現代の五百羅漢を作ろうという試みらしいです。
自転車で周ったので、意外とサクサク周れました。
私は休憩しないので、朝9時すぎからここまで周って伊豆長岡駅についたのが14時頃。
途中でお昼休憩しても一日あれば十分周れます。
この後、三島に出て小田原城を見て帰りました。
おまけ小田原城
大改修が終わってからまだ行ってなかったので、ちょうど良い機会と攻城。
北条氏の名前ばかり見ていたので、全然違うけど北条氏つながりで。
天気が悪くて天守閣の展望台からは何も見えず。
天守閣の資料館を17時閉館ギリギリまで見学。限定御城印があったので集めていないのについ買ってしまいました。