大分の旅続きです。
湯布院に泊った私たちは、別府を通り過ぎ国東半島へ。
国東半島には摩崖仏や由緒正しい寺社がたくさんあってどこに行こうか選べないほど。
国東半島は「六郷満山」という神仏習合の原点となる山岳宗教の生まれた地で、平成30年は開山1300年ということでした。
今回は、熊野摩崖仏・富貴寺に行き、その後宇佐神宮に行きました。
本当はもっと行きたいところはあったのですが、その日の夜には友人と下関で会うことになっていたので諦めたところも多数。いつかロングトレイルで走り回ってみようかしらん。
熊野摩崖仏
普通車の駐車場はすれ違いも難しそうな細い道の奥にある(受付の前)ので、我が家はトイレのあるバス用の広い駐車場に車を停め、そこから歩いて受付へ。
拝観料は大人300円、受付の方に「石段がきついから杖をどうぞ」と言われる。
登山が趣味の私たちなので遠慮しようかと思いましたが念のため借りました。
片道30分以上かかると言われました。
結論:本当に石段がきついので杖を借りたほうがいいです!
それと、スニーカー着用必須です。(サンダルやヒールは危険)
あれ?摩崖仏なのに鳥居?
なんて夫婦で感心しているとものすごい石段がありました!
登山の急登は張り切ってしまいます。仏様に会いたくて張り切って登りました。
雨降ってたら滑りそうで怖い。
そこへ現れたのが!
不動明王さまは8m、よくある憤怒相ではなく優しい慈悲相のお顔。
約900年前の平安時代末期の造立と思われます。国の史跡であり重文です。
鬼が築いた石段
この石段は鬼が築いたという伝説があります(パンフレットの抜粋です)。
「紀州熊野からお移りになった権現様のもとで、里の人たちは幸せに暮らしていた。そこへいつからか鬼が住み着いて、里の人間を食べたいが権現様が怖くてできなかった。権現様が「日暮れから翌朝鶏の鳴くまでに鳥居から神殿まで100段の石段を造れたらお前の願いをかなえてやるが、できなかったらお前を食い殺すぞ」というので、鬼は一生懸命石段を造り始めた。無理だと思っていた権現様は、鬼があと一段まで来ているのに気づいてあわてて鶏の鳴きまねをしたところ、夜明けだと勘違いした鬼は権現様に食べられないよう必死に逃げて一里半ほど走って息絶えてしまった。これを聞いて里人は安心して、権現様のおかげと岩に彫った大日さまのお加護と朝夕感謝するようになった」
えぇー、なんだか鬼がかわいそうじゃない?人間を食べなくてもいいように権現様は鬼にお饅頭の作り方を教えてあげましたとかのほうがハッピーエンドを好む今風じゃない?
ちなみにこちらには胎蔵寺というお寺もあって、金運アップのご利益があるのですが、
苔のきれいな帰り道に手書きの看板で「人生変わる」「帰り道はこちら」みたいに書いてあってなんだかうさんくさく感じてしまって寄らなかったのです。とっても残念!
宝くじの高額当選のお礼参りの方も多いようです。
さらに子宝祈願のお寺でもあるとか(こちらは私たちにはもう関係ないなー)
富貴寺
真木の大堂をはしょったことが残念。(仏像が有名なお堂ですが事前の調べが不十分でした)
熊野摩崖仏から車で15分もかからず富貴寺につきました。
富貴寺は六郷満山のなかで満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ、天台宗に属しています。養老二年(718)仁聞菩薩の開基といわれています。
こちらの阿弥陀堂は平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂とならぶ三大阿弥陀堂と言われているので、これは行かなくては!と。
弥陀三尊御開帳記念ということで、阿弥陀様と結ばれている回向柱。
阿弥陀堂(富貴寺大堂)は、昭和27年国宝となり、阿弥陀如来坐像は昭和25年に重文指定されています。
中に入れました。このときはご本尊の阿弥陀如来坐像と脇侍の勢至菩薩と観世音菩薩の三尊が公開されていました。勢至菩薩と観世音菩薩はいつもは本堂にあって本堂の阿弥陀如来坐像の脇侍となっているようです。
真ん中の阿弥陀如来坐像はご本尊のほうです。この絵葉書、台座の形から見ると三尊の写真を合成したようですよね。
壁画はかなり傷んでいてうっすらとしか見えませんでしたが、パンフレットによると「内陣には浄土変相図、四壁には五十仏、四天柱には胎蔵界曼荼羅の中心部尊像が描かれています」
まだ紅葉には早かったのですが、境内の雰囲気が落ち着いていて良かったです。
門前の石塔の彫刻がなんだかほのぼのとしていたので思わず写真を撮りました。