しゃおれんの旅日記

インフラ等は記事を書いた時点のものです。現在の状況はご確認お願いします。

徒歩で春日山観光その1-林泉寺

長野駅から上杉謙信ゆかりの春日山駅まで、北しなの線とえちごトキメキ鉄道みょうこうはねうまラインを乗り継いでいきます。手動で開けるドアの電車は久しぶり。

 

 

春日山駅からは歩くしかないです

 

長野駅を7:45に出て春日山駅には9:37に着きます(1440円)

f:id:Xiaoren:20191112150833j:plain

のどかな春日山駅

駅にある看板では上杉謙信像まで徒歩40分とあります。

f:id:Xiaoren:20191112150921j:plain

春日山城への行き方の看板 徒歩以外の説明なし

駅前のロータリーにタクシーはいないので、必要な方は呼ぶしかなさそうです。
メモしませんでしたがタクシー会社の電話番号が表示されていました。

 

一応公共交通機関はないかと必死に調べてみました。

春日山駅前9:53発 春日山下9:57着(頸城自動車 謙信公大通り循環バス)

このバス停は上越市埋蔵物文化財センターの近くに停まるだけで、春日山城や謙信公像まではさらに15分以上歩かないといけません。

 

レンタサイクルもないです。上越妙高駅にはレンタサイクルがありますが、グーグルマップで調べたら片道10Km以上あり知らない道を自転車で行くのはどうかと思ったのと、山道を自転車で登れないーと思い断念。

 

私は結局歩くことにしました。

 

ちなみに林泉寺入口バス停(ちっとも入口ではないですが)から春日山駅まで行くバスもあります。

林泉寺入口バス停12:28 - 春日山駅 12:37 (13:44-13:55)(14:13-14:22) 自分が関係しそうな時間だけ調べてます。

 

私はこの日、長野駅東口を18時に出るバスで新宿に帰る予定で、そのためには春日山駅14:32発の電車に乗る必要がありました。

これを逃すと帰れなくなるので(新幹線はありますが私はけちん坊なので)、
許された時間は約5時間!

満喫してきましたー♪

 

林泉寺

駅前からの道をまっすぐ進み15分ほど歩くとセブンイレブンのある突き当りのT字路を右に曲がると案内があり、のどかな道をさらに進みます。

右手の奥に春日神社の赤い鳥居が見えます。(春日山神社ではありません)

春日神社は越後守上杉氏の氏神様。春日山城の名称の由来となったそうです。

f:id:Xiaoren:20191112154739j:plain

参拝は省略しました

小川を超えると林泉寺の案内があります。

f:id:Xiaoren:20191112154910j:plain

周りに誰もいなかったので看板を見つけるとほっとします

だいたいここまでで25分。林泉寺は山の麓にあります。

f:id:Xiaoren:20191112155331j:plain

惣門

到着!駅からは約30分くらいです。宝物館も込みで入場料は500円です。

「惣門は上杉謙信公によって春日山城から移築された、往時を今に伝える唯一の門」(パンフレットより)

 

林泉寺は長尾家の菩提所として創建され、謙信は六世天室光育大和尚に学問を学び、七世益翁宗謙大和尚から禅の教えを学んで悟りを開いたそうです。
景勝のときに上杉家が会津に移封となり、代わって領主となった堀家、高田城主松平家、榊原家の菩提所となり、「禁制状」を出して代々保護していたそうです。


宝物館の方が「ここは殿様の菩提寺だから、明治になるまで庶民は入れなかったんですよ」とおっしゃってました。
この方はおしゃべり好きで「謙信公祭りにGACKTさんが出たときは、女性が大勢来てねー、キャーキャー大変だったんですよ」なんてことも話してました。

 

山門

 

f:id:Xiaoren:20191112164351j:plain

山門 



f:id:Xiaoren:20191112164501j:plain

アップで見る山門



 謙信建立の山門は江戸末期の地震により焼失し、現在のものは大正時代に再建されたものです。山門の「春日山」と裏側の「第一義」は謙信公直筆のレプリカです(本物は宝物館にあります。あれ?焼失したんじゃ?宝物館の人に聞けばよかった・・・)

 

f:id:Xiaoren:20191112164849j:plain

本堂

本堂の屋根には金色の家紋が5つ。林泉寺を菩提所とした「長尾・上杉・堀・松平・榊原」の家紋が飾られています。

パンフレットによればこちらは平成9年に開創500年を記念して建立。

ご本尊は釈迦牟尼仏、脇侍として文殊菩薩普賢菩薩、大権修利菩薩、達磨大師。脇間には開山曇英恵応禅師像と五大名霊牌と大謙信公座像をまつっているとのこと。

f:id:Xiaoren:20191112165756j:plain

こちらにも第一義の額

 

墓所

 

f:id:Xiaoren:20191112165915j:plain

墓所の案内図。歴代藩主と家族・住職・川中島戦死者供養塔があります

怖い話は苦手なのに、御墓所は平気。(考えてみれば古墳もお墓だし)

米沢の上杉家御廟もお参りしたのでこちらもお参り。

f:id:Xiaoren:20191112170137j:plain

墓所にふさわしい静謐な雰囲気

f:id:Xiaoren:20191112170217j:plain

謙信公のお墓です。左に大きな川中島戦死者の供養塔があります

川中島戦死者供養塔のほうが中央にあり立派なのはそれだけ激戦で供養する気持ちの表れなのかしら。

 

宝物館

 

宝物館は撮影禁止なので写真はありませんが、お宝満載でした。

山門の額「春日山」「第一義」の本物、上杉軍の軍旗(「毘」の旗や紺地日の丸などなど)、甲冑や毘沙門像、胸懸仏などの仏像。

謙信は名前を何度も変えていて(虎千代→景虎→政虎→輝虎→謙信)、上杉家の本姓は藤原なので藤原政虎なんていうサインを見ると、いつの頃のものかわかるようになってました。

謙信という名前は、禅の師匠の益翁宗謙大和尚から一字をもらったのですね。

 

ノートに「慎篤 愛徳 誓志 隔邪 義恭 善行」というメモがあるのだけど、宝物館の何に感心してメモしたのか忘れてしまいましたー。なんて不完全なメモ。
いい言葉だからメモしたんだけど、謙信とどういうつながりがあったのかしら?
ご存じの方がいらしたら教えてくださいませ。

 

宝物館の方ともおしゃべりして林泉寺を後にしました。

この時点ですでに11時。時間がたつのは早いです!

急げ、春日山城へ。

というわけで案内にしたがって人気のない舗装された道(途中一部住宅街)を進む。

最後は急な登坂。10分ほどで春日山神社の前の駐車場に到着です。

f:id:Xiaoren:20191112171611j:plain

びっくりするほどの階段