しゃおれんの旅日記

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西国巡礼その3-①播州路-番外花山院・25番播州清水寺

西国巡礼は折り返しました。

この日は公共交通機関の時間の制約がきつくてとても大変でした。

番外札所花山院へのアクセス

前夜地元足立区でプチ同窓会があったにもかかわらず、朝6:15東京駅発のぞみ3号に乗るために家を5時前に出たので寝不足で辛かったです。

新幹線で京都まで爆睡でした。寝過ごさず良かった。

新大阪8:39着。JR京都線網干行に乗り尼崎で宝塚線に乗り換え、降りたのは三田駅(9:40)

三田駅北口11番乗り場から神姫バス9:55乙原バレイ行に乗り、花山院バス停下車

この後もっと急になります

ここから1kmちょっとのものすごーーーく急な坂道を登ります。

「琴弾坂」なんて雅な名前がついているけど、けっこうキツイですよ。

車なら仁王門手前まで行けます。参道整備費用として500円必要。タクシーも同様です。

同じ20分でも階段の施福寺の方がまだ登りやすいと思います。

西国巡礼のガイドブックでは施福寺の山道をきついと書いているけれど、私の体感としてはこちらのほうがキツイ。ガイドブックは徒歩の人対象ではないのかしら。

 

花山院

急すぎる坂道を登って着いた花山院。

山門が見えたときはほっとしました

紅葉が始まっていて素敵です。

紅葉がきれいで銀杏吹雪も

法皇堂、薬師堂をお参りします。

本堂(法王堂)

花山院・十一面観音・弘法大師の像が並ぶ。

薬師堂(瑠璃光殿)

ご本尊 薬師瑠璃光如来

ご本尊 薬師瑠璃光如来

「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」

法道仙人が白雉2(651)年に創建。花山法王がこの山の景観に感銘して隠棲生活を送っていたが、5年後崩御され、本堂には法王の法衣を着けた木彫像が安置されています。法王の御廟所もあり、かつてはこちらを参拝してから西国巡礼に出たとか。

納経印

花山法王御廟所

幸福の七地蔵様

その後直接手を握ってお参りすることができる「幸福の七地蔵」様にお参り。

私は賢者地蔵にお参りしました。

子どもや母もあり、そのお地蔵さまに祈ると関係が良くなるようなお地蔵さまでした。

鉄人28号くんと記念撮影

お参りが終わり、寺務所で納経印を頂きます。

余談ながら・・・

私はB5サイズの納経帳を使っているのですが、お寺の方が「この大きな方が書くにも印を押すにもバランスがとりやすいし、またこういった和紙がいいんですよね」と言って下さったので、坂東巡礼をする時は軽い小さめの御朱印帳タイプにしようと思っていたけど、次もこの大きめで行くことにしました。

千葉から来たというと珍しいと言われ、夫さんの供養にというと「まだお若かったでしょうに」と言われ泣く。

寺務所でいつも泣いているわけではないけど、たまにご住職と話す機会があるとこういう流れに。

スタンプラリー的な巡礼のようなノリではないのでどうしてもね。

 

有馬富士や六甲山脈が見えます

寺務所の前からは、有馬富士や播磨灘が見えてその絶景に見惚れます。

11月だというのに暖かくて、息きって登って汗かいていたのに素晴らしい景色を見て癒されました。

降りる時は、息は切れないけど、靴の中でつま先が当たるくらいの急坂。

雨で落ち葉があったら滑りそうだわ。

バスは1時間に一本なので、もう少し絶景を見ながらのんびりしていればよかったと思う。

 

十二尼妃墓

時間があったので、一つ分バス停を戻って、尼寺北口バス停のそばに十二尼妃墓があるというので寄りました。

看板から入ってすぐ

花山法王を慕って、花山院の麓に庵を結んでいたという女官たち。

女人禁制のため入山できない彼女たちは法王を慰めるため琴を弾いていたので「琴弾坂」という地名が残り、最愛の弘徽殿の女御と十一人の女官の墓が残っています。

十二妃墓

播州清水寺のアクセス

バスで三田駅に戻り、駅ビルでランチ。三田駅が普通に栄えていてほっとしました。

次は相野駅へ移動。

相野駅から播州清水寺行きのバスが13:11、清水寺に参拝する人は運賃の他に入山料500円を支払います

バスに乗っていて、清水寺の入り口を通ってからも結構登っていくので、こちらのお寺の山はすごく大きいんだなあと思う。

バス停で降りた乗客は4人。調べてはきたものの時刻表の潔さに驚く。

バスは1日2便

1日2便しかない。

13:57にバスを降りて、14:50に乗らないと帰れない。

「お参りも命がけや」とつぶやくおじさん(笑)

おそらく下山して麓の道に出ればなんとかなるとは思うけど、こちらのお寺はかなりの山の中です。(登山スタイルで登ってきている人もいた)

でも、紅葉が素敵なので、駐車場は平日なのにほぼ満車でした。

 

大きな仁王門を潜って、参道は緩く降っていきます。

立派な仁王門(昭和54年再建)

 

播州清水寺

立派な石垣があります。

石垣の道

薬師堂には十二神将像があります。

薬師堂(撮影可能)

こちらはせんとくんの薮内佐斗司氏のデザインです。

どことなくせんとくんに似ています。

子と丑

丑(上の写真と重複)と寅

卯・辰・巳

午・未・申

酉・戌・亥

ご本尊 十一面千手観音菩薩

「あはれみや 普き門の 品々に なにをかなみの ここに清水」

 

花山院と同じく法道仙人が景行天皇の御世に(1800年前というけどほんとかな?)この地に住んで鎮護国家豊作を祈願したのが始まり。

納経印に並ぶのも珍しい

大講堂

大講堂は聖武天皇の勅願所。神亀2(725)年に創建され、大正6年に再建されました。

大講堂でお参りとお線香の奉納をして、納経印をいただく。

 

平日なのに境内は混んでいました。

紅葉のいい季節だからでしょうか。

紅葉がきれい

写真よりももっと美しい

 

境内のあちこちが紅葉が始まっていて素敵な雰囲気。

根本中堂

根本中堂は推古天皇の勅願所。推古天皇35(627)年に創建、大正6年に再建されました。

御本尊は秘仏なので、お前立ちにお参り。

左手に白鳳時代の金銅仏があって、優しいお顔にほっこりする。

おかげの井戸は

顔を映すと寿命が3年伸びるというおかげの井戸にも行きました。

無事お参り出来て一安心

売店に寄るほどの時間はなく、バス停に戻りました。

同じバスで来た人は皆戻って来てます。よかった。

 

50分かけてバスは相野駅に戻り、この日の宿泊地である福知山に向かいます。

16:11JR丹波快速福知山行きで終点まで。

山の向こうに沈んでいく夕日を見て少し寂しい気持ちに。

電車の乗客は学生さんがちらほらと少ない。

福知山駅に着いたのは17:30

外は既に真っ暗でした。ホテルは駅前のアールイン福知山。

福知山城は常時ライトアップするわけではないのですね。せっかく福知山に来たのに見られませんでした。

 

東京駅から向かうとなると、この日は二山回るのがやっとでした。

明日は私の巡礼旅には珍しく観光もあります。

前夜の寝不足を取り戻すためにこの日は早く寝ました。

 

鹽竈神社と多賀城

石巻観光の後は多賀城に行き、18時台の新幹線で仙台から上野に帰る予定でした。

多賀城跡だけでは時間が余るかもしれないと、多賀城の鬼門を守る陸奥国一之宮の鹽竈神社にお参りしてから多賀城へ行こうと考えました。

 

鹽竈神社本塩釜駅から

後から地図を見たら塩釜駅からも歩けました。

JR仙石船本塩釜駅から表坂(202段の石段)まで約15分くらい。

道沿いに和歌が刻まれたオブジェもありましたが、読まずに通り過ぎました。

表参道は202段の石段がそびえます

表参道の階段をひたすら上るとこの日は早めの七五三の御祈祷を受けに来た親子連れで一杯でした。

 



鹽竈神社

陸奥国一之宮として、平安時代からすでに崇敬を集めていました。

立派な門

祭祀料として正税壱万束を受けていたようですが(他に祭祀料を受けていたのは、三島社と月山社のみ)、「延喜式」には載っておらず式外社だったという謎があります。

さらには、主祭神についてははっきりせず、江戸時代に伊達家4代綱村公が学者たちに研究させて、別宮に主祭神たる塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神をお祀りするように定めたとか。この三本殿二拝殿という形はとても珍しいそうです。

歴代藩主の伊達家が大神主となり、宮司はいないそうで、禰宜家が祭祀を行っていました。

別宮に主祭神塩土老翁神

右宮と左宮とあります

塩釜神社の御由緒を読んでいると、なかなか暢気な感じが伝わってきます。

平安時代から地元では崇敬されていたのに、祀られている神様がよく分からないって(笑)

 

 

志波彦神社

鹽竈神社のお隣にある

志波彦大神をお祀りし、「延喜式」の中でも「名取大社」という格別の崇敬を受けていた神社です。

この神社の社殿は全額国費で建てられた最後の社殿だそうです。

志波彦神社



志波彦大神について、神社のサイトの御由緒から要約します。

志波とは、「物のシワ」=端を表す言葉で、大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったと思われ、その地方で信仰されていた国つ神(土着神)を志波彦大神、志波姫神と呼んだと考えられる。

 

鹽竈神社のサイトは分かりやすく丁寧で良いです。しかも、写真が重くなくて見やすい!

 

御釜神社

御釜神社

鹽竈神社から本塩釜駅へ戻る途中にあります。鹽竈神社と同じ塩土老翁神主祭神とし、かつては製塩が行われていた場所でした。

塩釜の地名の由来となった神の釜があります。

こちらは初穂料100円を支払うとこの中にある四つの釜を見ることができました。(写真撮影は不可)

釜の水は黄土色をしていました

内部に張っている水はあふれることもなければ、干上がることもなく、またこの地の有事の際には水の色が変わると伝えられています。

畏れ多い気持ちで見る。

御釜の奥の建物に御簾がかかっているので「あれは何ですか」と職員さんに聞いたのですが「私はよくわかりません」と言っていました。

御釜の神様が祀られているのかしら?

多賀城散策はレンタサイクルで

松島は以前来たことがあるので今回は割愛。鹽竈神社の次は多賀城へ行きます。

JR東北本線国府多賀城駅から歩くか、JR仙石線多賀城駅からレンタサイクルが便利です。本塩釜から移動したので私は多賀城駅から観光しました。

多賀城駅からはアップダウンが多くて、普通のママチャリだと結構大変でした。

1時間150円、ヘルメット着用は初めて

日本百名城はほとんどが戦国時代の城ですが、こちらは異質の古代の城

でも、古代史ヲタクの私はむしろこちらのほうが興味があります。

1300年前の政治と軍事の拠点であり、歌枕の地でもあります。

平城宮跡太宰府跡とともに日本三大史跡です。

東北歴史博物館

ものすごく立派な建物

時間がないので常設展だけ見学。

宮城県からも遮光器土偶が出土していたなんて!青森だけかと思ってた

多賀城碑(壺碑)

多賀城 去京一千五百里」で始まる多賀城

天平宝字6(762)年に建立、京などからの距離や多賀城創建の歴史など141文字が刻まれています。

松尾芭蕉はこの碑に感動して「奥の細道」に書き記しています。

「壷碑」という歌枕として有名だとか。

東北歴史博物館にあったレプリカ

こちらのほうが照明もあたっていて読みやすかったです。

多賀城

国府多賀城駅のそばの線路を超えて行きます。

約900m四方の多賀城跡の中央に約100m四方の政庁跡がありました。

作貫地区役所跡

神亀元(724)年、大野東人陸奥国を統治するために設置した役所で、国府(行政組織)、鎮守府(軍事)が置かれました。

 

増築されたり、伊治公砦麻呂による焼き打ち、大震災後など数回再建されています。

現地では、最も荘厳だった第二期(伊治公砦麻呂の乱前)を表示しているとのこと。

政庁復元模型

政庁南門跡

歴史博物館で模型を見たときに翼廊が下がっていて模型の作成ミスかと思いましたが、現地の復元でも翼廊は下がっていました。

政庁正殿跡

礎石式の四面庇付建物で、南側は石敷きの広場でした。礎石の一部は当時の実物とあったので、全部を踏んでみてどれが本物か探ってみました(よくわからず)。

 

100m四方の敷地はなかなか広いですが、記念と思い縦横無尽に歩き回ってきました。

 

多賀城廃寺跡

政庁の南東1kmにある多賀城の附属寺院として建立されたもの。

伽藍配置は太宰府の附属寺院、観世音寺と共通しています。

多賀城廃寺跡(現在は公園)

東に塔

東に塔、西に東をむいた金堂、北に講堂があります。

北に講堂


歌枕「沖の石」

沖の石(沖の井)

ざっくりと多賀城を見学して、駅へもどり自転車を返してから歩いて多賀城駅の南側にある万葉の歌枕を探します。

住宅街の中にありますが、池とその中に大きな石がありました。

「わが袖は 汐干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし」二条院讃岐の歌でしか知りませんが、見たら「おぉー」と思いました。

国名勝・日本遺産に登録されています。

 

歌枕「末の松山」

坂道の途中にある末の松山

清原元輔「契りきなかたみにに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは」の歌が好きだったので、多賀城に来たならぜひとも来たかった場所。

沖の石から徒歩3分くらいのところにあります。

現地には清原元輔の元歌の碑がありました。

古今集の読み人知らずの東歌です

「君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ」

絶対に浮気しませんと誓う歌です。おそらく、東日本大震災のときもここまでは絶対に津波は来ないと思われる高台にありました。

ここに誓ってくれたならかなり信じられるということでしょう。

末の松山と書いてないと分からないけど

こちらも国名勝・日本遺産に登録されています。

石巻で震災遺構と漫画館へー泣いたり笑ったり

震災遺構を見学した理由

11年前の3.11東日本大震災は忘れられない出来事です。

私には直接の被害はありませんでしたが、
(当時千葉に住んでいて近所一帯が液状化したくらい)
東北には親戚もいて福島の従兄は結局家業をやめることになったし、
色々考えることがありました。

 

ボランティアバスに乗って、片付けにも二度ほど行きました。

本当に役にたたないけど、現地のボランティアリーダーの方が「こうして来てくれることが励みになる」「忘れられていないと思えることがいい」と言ってくださったのが救いでした。

その後は偽善かもしれませんが寄付でお茶を濁してきました。

 

あれから幾度か大きな地震や水害などが東北を襲って(東北だけじゃないけど)、その都度乗り越えていく人々の忍耐力に頭が下がります。

今回東北旅行をするなら、どこかで震災遺構を見学して、11年たってどのようになっているのかを知りたいと思いました。

 

公共交通機関で行ける石巻の「石巻市震災遺構門脇小学校」を見学してきました。

仙台から石巻

仙台駅で石ノ森章太郎先生のキャラクターを見つけてまず嬉しい。

コインロッカーがサイボーグ009だった

仙台7:24発仙石東北ライン快速石巻行で石巻8:19着。

石巻は「魚と漫画の街」ということで駅には石ノ森章太郎先生の作品のキャラクターがいてテンション上がります。(これについては後述)

仮面ライダーサイボーグ009と003と001

8:30発の市内循環バスで門脇四丁目バス停下車。8:42着

バス停の目の前に門脇小学校があります。

校歌が刻んであります

展示館は9時開館だったので、小学校の前にひろがる「石巻南浜津波復興記念公園」に行きます。

以前は住宅街でした

公園の中の丘から海や街を見渡す。

海が見えます

写真を見るとかつては住宅街でした。

ボランティアで来た時には、片付いていない状態でそれはとても心が痛む風景でしたが(私が行ったのは、南三陸のほうで石巻ではないですが)、こうして以前人が住んでいた場所から住宅が無くなっているというのも切ないものを感じました。

 

門脇小学校

明治に開校した歴史ある公立学校で、南浜地区の開発とともに児童数も増え、かつての学校行事の写真からはにぎやかで楽しそうな様子が伝わります。

震災当時は、日ごろからの訓練(縦割りによる児童どうしの助け合いも含む)、教員の判断が良く、適切な避難によって多くの命が救われました。

多くの児童が救われたとはいえ、この地域全体でみると犠牲になった方がいらっしゃるので、見学しながらも胸が痛くなりました。

他所の地域の住人が見学するのは偽善ではないかと思いながらも、「日頃の訓練や人との結びつきが大事」という教訓というか希望を抱ける震災遺構は見学してよかったです。

入館料大人600円

校舎は津波津波火災により被災していて、現在はその様子を外部から見学することと、映像や多くの資料から当時のことを知ることができます。

説明の写真パネル

焼け落ちた教室を外から見る

津波の映像は途中で辛くなって見るのをやめてしまったけど、先生と生徒たちのインタビュー映像は見ながら泣けてしまった。

裏山に逃げた場所

校舎に避難していた人々は、津波で押し寄せてきた家や車が燃えて校舎も危ないから裏山に逃げようということになり、教壇をはしごがわりにして渡ったそうです。

その場所を見ましたが、結構校舎と裏山の間が空いていて怖い。教壇もすごく重いのに先生方が必死に運んだそうです。

 

その場で適切な判断ってできるのかな。

結果として良かったのかもしれないけど、そういうのも常日頃からよく周囲を見ていないとできないと思います。

 

印象的だったのは、生徒が先生を信頼している様子、先生たちの責任感使命感の強さ。

自分の子供の無事を確認したらまた現場に戻った女性教員の方がいたなんて。

壁にあった生徒の作文で、転校してから新しい学校は避難訓練が適当なので不安になるといった趣旨を読んで、日ごろから備えておくということが大事だと思いました。

 

私も夫さんが逝ってしまって悲しくて仕方ないけど、同じように大事な人を失った人たちはどうやって乗り越えたんだろうと、映像やパネルを見ながら思う。

大事な人だけでなく、家や大事な物も無くしてしまったのだから本当に辛いと思います。

普通に明日は来ると思っていたけど、突然その日常が崩れる恐怖。

だからこそ、今日に感謝すべきなんだろうけど、そんなに簡単に気持ちが切り替わらない。

 

震災の被害の規模、避難の様子、その後の仮設住宅での暮らしを伝え、災害を伝承することで次の災害の被害を少なくするという努力をすることは大事だと改めて思いました。

 

 

今回見学して、無事だった地域から来て、その時は辛かっただろうと知るだけでいいのかという気もします。

でも、関心を寄せることで、せめて自分は自分の町内会の防災訓練には真面目に参加しようとか、災害時の備えを家に置いておくようにして避難所に行けなくてもなんとかなるようにしようとか思っただけ良しとします。

 

 

 

石ノ森漫画館へ

見学を終えて、次の目的地石ノ森漫画館へ向かいます。

10:02に市内循環バスが来るので(このあとは11:42まで無い)、石巻げんき市場バス停で下車。川の向こうに宇宙船のような建物が見えます。

石ノ森漫画館

しゅんとしていたのに、急にワクワクが来ました。

実は私は子供の頃、「サイボーグ009」というまんがが好きでした。

(世代なので、仮面ライダーキカイダーもゴレンジャーもロボコンも知っている)

入り口前に仮面ライダーロボコン

 

サイボーグ009」は昭和の東西冷戦時代らしいマンガでした。

「黒い幽霊団(ブラックゴースト)」によって兵器として改造された主人公たちはブラックゴーストから脱出してそれと闘うのですが、利益のために戦争や紛争を起こそうとするブラックゴーストとの戦いだけでなく、人種問題や神話なども題材にあって面白かったです。

ドイツ人の004 緑色の服だったっけ?

バイプレーヤー好きの私は、全身兵器の004と、009を助けるために宇宙へ飛んで一緒に流れ星となった002が好き。

石巻駅には002 鉄人28号くんと夢の競演

漫画館自体は、フィギュアの展示がメインで、原画がもっとあったらなーとか、当時のアニメも放送してほしいなあとか色々思うところもありましたが楽しかったです。

同じ趣味の人といったらもっと楽しいと思います。

 

スタッフさんがサイボーグ009のコスプレしていて、かわいくて「写真撮らせてください」とお願いして撮らせてもらいました。

かわいくて親切なスタッフさん

 

マンガストリート

駅までの帰り道、キャラクターがあちこちにいます。

駅から漫画館まで続きます

写真を撮りながら歩いていました。

こういうのって、町おこしになると思いました。

「変身!」

知っているキャラクターが町中にいるだけなのになんか嬉しい。

やっぱり004が好き

夫さんは水木しげるが好きだったので、いつか水木しげるロードに行こうと話していましたが、私はそれほど妖怪に詳しくないのでまだ行く計画も立てていません。

 

石巻焼きそば

電車まで時間もあるし、ちょうどお昼なので駅前の「くるるん」で石巻焼きそばを。

「くるるん」

石巻焼きそばは二度蒸すことで麺が柔らかくなり味がしみこみやすいとか。

普通に美味しいソース焼きそばでした。

タコ焼きまでしっかり食べました。

目玉焼きが載っているとなんか嬉しい

震災遺構で真面目に考えたりパネルを見て泣いたり、漫画館で笑ったり、大忙しの石巻観光でした。

 

どちらか一方でもダメだと思います。

せっかく石巻に来たなら漫画館だけじゃなくて、門脇小学校も行ったほうがいいと思うし、その逆も。

 

杜の都仙台に来たよー

青森の後は秋田に抜けるはずが、リゾートしらかみが運休中なので金木も含めて次回に延期。仙台に戻ってきました。

実は仙台に降りるのって初めて。

青森から来たら、仙台ってものすっごく都会。

地元愛あふれる羽生選手 和服の演出いいわー

駅の観光案内所に入ったら羽生結弦くんのパネルがあって「仙台だわ」と思う。

 

 

観光の前にホテルに荷物を預け観光開始です。

今回はモンテエルマーナ仙台ホテル。

女性専用フロアで、ルームキーがないとフロアに入れません。

大浴場もあってよかったです。

それにしても、人が多い。駅も大きいからバス停を探すのも大変。

るーぷる仙台一日券は要注意

仙台で見たいところは、周遊バスのるーぷる仙台で行けるので、まず西口バスターミナル16番に向かいます。

一日券620円、地下鉄共通一日券は920円。

割引もありますが、それほど乗らないならその都度260円払ってもいいと思います。

私は地下鉄も乗るからなーと、地下鉄共通券を買いましたが、割引もあってなんとか損しなかった程度でした。

仙台城を16:26発(仙台駅着17:10)が最終なので午後から観光始めた人は一日券は損かも?

 

でも、たんなる周遊バスかと思っていたらたまたま私が乗ったバスがそうなのか運転手さんが色々と雑談をしてくれて面白かったです。

「カラスは賢いので、くるみをバスに割らせようと、バスが通るところにくるみを置く。

だけど、素直に踏んでやったら癪なので避けたらそっちにもくるみが置いてあった。
さすが東北大に住むカラスだけある」てな感じで。

オチ付きの話が続いて混んでいるバスも楽しかったです。

運転手さんが話をしない時も車内放送で車窓からの見える建物について説明が流れます。

瑞鳳殿

瑞鳳殿(伊達家三代の廟)

仙台市内を一方通行に周遊するので、まず瑞鳳殿から観光しました。

長い登坂

るーぷる仙台バス停からは急な坂道を登っていきます。

るーぷる仙台の一日券を見せると110円割引になりました。(570円→460円)

瑞鳳殿は、藩祖政宗、二代忠宗、三綱宗の廟。

桃山時代風の豪華な廟で、戦前は国宝でしたが戦災で消失し、昭和54年に復元したそうです。

涅槃門

牡丹に唐獅子の装飾

涅槃門も、樹齢数百年の青森ヒバを用いて焼失前と同様に復元しました。

瑞鳳殿政宗の御霊屋

この漆に金色という色の組み合わせは映えますね。

戊辰戦争弔魂碑

感仙殿:二代藩主忠宗の霊屋

こちらも昭和20年の戦災で焼失するも、昭和60年に再建されました。

善応殿:三代藩主綱宗の霊屋

感仙殿と同様に焼失、再建されました。
綱宗公は、芸術的な才能があり隠居後は書画を楽しみ、その作品は高い評価を得ていました。

 

仙台城

るーぷる仙台バスに乗って、次は仙台城跡へ。

仙台城跡で降りた時に、うっかり仙台城資料館という私設の博物館みたいなところに入ってしまった。

るーぷる仙台の一日券のおかげで200円割引で500円になったけど、

展示品は政宗の直筆書状や具足類、宇和島伊達家の嫁入り道具などと、アニメで仙台城を紹介するもので、うーん、どうして入ってしまったんだろう?

仙台は元は「千代」だったのが「仙人が住む高台」という意味から仙台に変えたということを知りました。

本丸跡

その後、VRカメラを無料で借りられたので本丸跡など行って、VRカメラで見る。

そもそも本丸跡などを辿るのが今回の目的でした。

このポールが立っている場所でVRカメラを装着

カメラを当てて無理やり撮影(笑)

上段の間の格子天井の様子がわかります。

実際の様子とVRを見比べる。説明も聞けたし無料だからいいか。

360度ぐるりと見ることができて面白いけど、

一番最初の上空から仙台城を見るというのは酔いそうでした。

歳のせいかしら。

有名な伊達政宗像は修復中で見ることができず残念でした。

石垣の見本

本丸跡の横に新旧の石垣の組み方の見本がありました。

パネルで丁寧に説明あり

17世紀後半から四代藩主の頃の石垣の見本

 

古いほうの石垣の組み方の説明

後ろからの方がわかりやすいかと

 

昔は日本のお城の石垣もエジプトのピラミッドのように中身も全部石なのかと思ったけど、割と表面だけが石だということがわかりました。

しかし、そうはいっても、土を固めて石を崩れないように組んで(積んで)いくのは相当な技術が必要ですよね。

護国神社

 

城内に靖国神社あり

鯛みくじ

厄除け瓢箪

身体の中の悪いものをひょうたんに閉じ込めて納めて帰るといいとのこと。

夫さんが逝ってしまってからの悲しい思いも瓢箪に入れて納めることができるならやるけど・・・

ひょうたんがぶら下がっています、なんか可愛らしい

以前はおみくじもよく引いたけど、自分が病気したり、夫さんが亡くなってからはおみくじは怖くてひけなくなりました。

 

国際センター駅で意外な出会い

るーぷる仙台バスは終わってしまったので、地下鉄で帰ることにする。

角の算木がきっちりとした好みの石垣

初期の頃の石垣

東日本大震災で石垣が緩んだところは補修したとパネルがありました。

屋外の池でスケートとは

国際センター駅まで歩いていくと、スケート発祥の地五色沼がありました。

ヘェーと思いさらに駅に行くと、荒川静香さんと羽生結弦くんのパネルが!

仙台が誇るフィギュアスケートの金メダリスト

知らなかったので嬉しく写真を撮る。

私はフィギュアスケートはかなり好きです。

 

東照宮

すでに日も暮れ始めて観光も終わりかな。

ただ、気になっていた東照宮に行ってみたい。

仙台にも東照宮があったんだ・・・政宗はどれだけ徳川家と親密だったのかしらと思いながら。

地下鉄で仙台駅に戻り、仙山線で一駅、東照宮駅で降りたらすぐでした。

暗ーい、怖ーい

夕暮れの中、ライトアップなどはされていなくて、街灯だけで薄暗い中見てきました。

拝殿も薄暗い(写真は補正しました)

暗くてよく見えなかったから、無理に行かなくてもよかったかな。

金網の向こうの本殿(写真補正)

 

つい、そうそう来れないし、と思うと無理矢理観光してしまいます。

 

牛タンは全国旅行支援割のクーポンで

この日の観光はこれで終わり。

駅で菊水庵のずんだシェイクを飲んで、部屋でコンビニご飯でダラダラ休みました。

わらび餅入りずんだシェイク

瓢箪揚げは完売で食べられなかったし、駅の牛タン屋さんは時間がちょうど食事時で軒並みすごい列で、疲れてたので並ぶ気にならず。

 

翌日、並んで全国旅行支援割のクーポンで牛タン定食食べました。

牛タンだけでなくタンシチューも付いたたんのうセット2233円

平日で3000円のクーポンもらっていたので、ここで2000円分利用。

たんシチューも食べたくて欲張りなセットにしました。

少しずつ色々な味があるので大満足です。美味しかったです。

締めはずんだ茶寮のずんだシェイク

仙台は食べ物屋さんもお土産屋さんもたくさんあって大都会で、旅行に来たというより、普通に東京のような都会に来たという感覚でした。

古代史関連旅も西国巡礼も基本人があまりいない所ばかりだし、

東京近郊に住んで、日ごろ家の近所しか周っていないと都会で人込みにワタワタします。

全国旅行支援割の間はこれからしばらく混むのかしら。

 

弘前アップルパイ食べ比べ

弘前に行ったらアップルパイを食べ比べしようと思っていました。

一人旅なので、数が限られるのが悲しい・・・

夫さんなら私につきあって多分頑張って食べてくれたのに。

 

弘前アップルパイガイドブック

駅の観光案内所で、アップルパイガイドマップと街の地図と建物散策のガイドをもらいました。

読み応えのあるガイドたち

旅行に出る前に色々とネットでもアップルパイの美味しい店を調べていました。

今回は調べて行ったところと、散策中にたまたま見つけたところと5種類食べ比べています。

いつも一人旅のときは「◎分の電車に乗らないと博物館が閉まっちゃうー!」」とかで食事の時間を削っているのに、今回は並んでまで喫茶室に行ってます。

 

藤田記念庭園大正浪漫喫茶室

藤田記念庭園の中の洋館にある喫茶室

庭園を見ながらお茶できます

こちらは市内の何種類かのアップルパイを扱っています。

待ち時間に熟考

注文したのは「津軽ゆめりんごファーム」のスペシャルプレートのドリンクセット(990円)。

アップルパイにバニラとベリーソースを添えています

スペシャルプレートは単品のパイに、バニラアイスとクッキー、ベリーソースをパイに添えます。

りんごの甘煮部分は甘すぎず美味しかったけど、パイがサクサクでもなく、アイスやソースと一緒で良かったという印象。

 

洋菓子工房ノエル

洋菓子工房 ノエル

アップルパイを一つだけ、という買い方でも笑顔で対応してくれたオーナーさん。

ノエルのアップルパイ370円

煮リンゴにシナモンがほんのり効いていて、私の中の「THE APPLE PIE」☆☆☆

りんごが甘すぎず、柔らかすぎず食感も良くてとっても美味しかったです。

パイは柔らかめのタイプです。

これを温めてバニラアイス添えてブラックコーヒーと一緒に食べたら超幸せな気分になりそう。

ちなみに「14年度青森県ブランド認定商品。第二回アップルパイコンテスト弘前市長賞受賞」の受賞歴ありです。

 

地方発送あり、と書いてあるけど、ホールはさすがに食べきれないですよね・・・

 

私はこのノエルのアップルパイが一番好きです。

アンジェリック

スタイリッシュな外観

遠くから見たときにシャッター閉まっているのかと思ってガッカリしてしまった。

おしゃれな外観のお店で、中に入ると焼き菓子やパンなどもありすごく充実していました。

アップルパイ380円とウインナーパン購入

パイ底をキャラメリゼしてあるので、ザクザクしています。

ザクザクパイの上にこれまた美味しいリンゴジャムとりんごのコンポートが載っています。

 

パイは「サクサク」が最高だと思っていましたが、「ザクザク」も美味しいです。

 

オークレール

アートホテル弘前シティ内にあるティーラウンジです。

オークレールのアップルパイ302円

新幹線で新青森から仙台へ移動する時に食べていました。

パイがサクサクで最新の注意を払って食べていたのにポロポロこぼれてしまった。

りんごもぺろーんと一気にはがれてしまって食べづらいけどそんなの気にならないくらいこちらも美味しい。

クリームが入っていてその上に柔らかく煮たリンゴスライスがたっぷり載っていてこちらも美味しかったです。

 

スリーブリッヂ

かわいいパン屋さん

弘前駅のすぐそばの公園の裏にありました。ガイドマップには載っていなくて(パン屋さんなので)、「可愛いお店だ」と思いパンを買うつもりで入って「ショソン オ ポンム(アップルパイ)」という名前に惹かれて購入。

アップルパイとキッシュを買いました。

朝ごはんにリンゴパイと青森名物パンのイギリストースト

この写真は翌朝ホテルの部屋で食べた朝食。気休めに野菜ジュースとヨーグルトも添えています。

こちらのアップルパイは、一日経っていたにも関わらずパイがサクサクで、「え、美味しい」と口に出てしまったほど。

中のりんごも甘味と酸味が程よくありました。

ノエルのパイがりんごが主役なら、こちらは美味しいパイが主役でりんごは引き立て役かな。パイ部分が美味しかったです。

 

私はノエルの次にここのパイが美味しかったです。

 

帰ってからネットで見たら、スリーブリッヂは有名なパン屋さんでした。

アップルパイもお目当てにしていく人が多いそうです。

偶然美味しいお店に出会うなんて、すごいなー、私。

 

ちなみに青森県民のソウルフードと「ケンミンショー」で紹介されていたイギリストーストですが、トースト好きな私としては焼きたい!

高級生食パンブームの時も焼いたパンが好きだから生食パンには見向きもしなかったので、イギリストーストも焼いて外はカリカリ、中のマーガリンがじゅわっと溶けてほしかった。持ち帰って家で焼けばよかったです。

 

おみやげはラグノオの「気になるりんご」

りんご丸ごとパイにしたとのこと。気になります

丸々としてけっこうずっしり

ラグノオはりんごを使ったお菓子を作っていて、青森ではいまや定番のお土産だと思います。安心の美味しさ。

さすがに一人で丸ごとは・・・と思ったので、友人が来た時に四等分。

まるごとりんごと中心に甘すぎないクリーム入り

四等分して二切れ食べたから結局半分食べちゃった。

りんごは煮すぎてないので、シャキシャキが残っていて美味しかったです。

半分は冷やして食べたので、残りは温めて食べました。

私はどちらも好きです。

紅玉は酸味があるというけど、ちょうど良い感じです。

紅玉でない普通のバージョンもありました。

弘前はりんごの街

ポストの上にもりんご

 

弘前は強力にりんご推しの街でした。

弘前駅にあったりんごジュースだけの自販機

ジョナゴールドを飲みたかったのに準備中ということでつがるにしました。

ストレート100%ジュースなので美味しいです。

電車の中で飲んでいた子どもが「うっま、うっま」と一口ごとに言ってて可愛かったです。

洋館のある城下町弘前散歩

午前中に三内丸山遺跡の見学を終えて、新青森から弘前へ移動。

新青森駅も大混雑

新青森駅の一階にお土産屋さんとフードコートがあるので、ここで何か食べようと思っていたのですが、全国旅行支援割のためか飲食店はどこも激混み!

ほたてまるごとコロッケとえびまるごとコロッケ購入

ホタテ丸ごとコロッケとエビまるごとコロッケ、ホタテおにぎりを買って、

電車を待つ間の待合室で慌ただしく食事。

ほたておにぎりが美味

弘前まではボックス席ではなくロングシートなので流石に車内で食事はしづらい。

大きなコロッケですが、この大きさを構成しているのはホタテではなくジャガイモなので、それが分かる大人には美味しいと思います。

私は大きなホタテが入っているのかと期待しすぎてちょっと反省。ホタテフライではないのに。

ホタテ入りおにぎりは美味しかったです。

昨夜青森でホタテの貝焼きを食べたかったのに、見つけたお店はのれん下げてて適当に隣の店に入って失敗したので、未だに心残りです。

 

弘前観光開始

弘前では駅前のアートホテルに宿泊。荷物を預けて観光開始。

弘前の目的は現存十二天守弘前城の登城とアップルパイ食べ比べ。

観光案内所で地図をもらったら歴史的建造物、明治大正期の洋風建物など建物散策が楽しそうとわかる。

まずは弘前城へ向けて、ケーキ屋さんと建物を探しながら散策開始です。

ケーキについては別記事で。

日本聖公会弘前昇天教会

弘前れんが倉庫美術館

最勝院五重塔

山門をくぐると紅葉が始まっていました

観音様が並ぶ

 

最勝院は、京都五山鎌倉五山にならって定められた津軽真言五山の筆頭寺院で、江戸時代には隆盛を誇っていたのですが、明治の神仏分離令支配下の多くの寺院を合併して現在の場所に移転したとのこと。

本堂

均斉がとれていて遠くからも目を引く美しさ

 

東北一の美塔と言われています(東北には五重塔が少ないとのこと)

この五重塔は藩祖津軽為信津軽統一の際の戦死者を敵味方区別なく供養するために、三代藩主信義が着工し、四代信政の時に完成。高さ31.2m。とても美しい五重塔でした。

旧東義塾外人教師館

弘前公園の近くには洋館が多いです。

 

旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)重文

旧東奥義塾外人教師館(県重宝)

弘前市立図書館(県重宝)

図書館は無料で見学できます

婦人閲覧室 素敵な洋館ですよね

外人教師館のそばに旧弘前市立図書館や、ミニチュア建造物のコーナーなど楽しかったです。

ミニチュアの旧弘前市立図書館(現存のものと屋根の色が違う)

ミニチュアの昇天教会

慈善館(青森県初の活動写真館)

ミニチュアの建物のなかには現存するものもあります

東武ワールドスクウェアや鉄道ジオラマなどミニチュアが好きな私は偶然見つけたこの展示を嬉しく見学しました。

ところで、なぜ弘前に洋館が多いかというと、明治以降「学都 弘前」を目指し教育に力を入れ、外人教師なども積極的に招きキリスト教の布教も盛んで、文明開化の波にのって洋館が作られたからとのこと。(弘前市観光情報サイトから)

安寿と厨子王と母の像

安寿と厨子王と母の像

何かの像があると思って近づいてみたら「安寿と厨子王と母」の像でした。

安寿と厨子王といえば、山椒大夫にさらわれて酷使されたのち、姉の安寿は亡くなり弟の厨子王はなんとか逃げだして、無実の罪で陥れられた父親の名誉を回復し、丹後の領主となり後に生き別れの母親とも再会する話でしたよね。

しかし、津軽に伝わる伝承では、なんと!安寿は無事に逃げ岩木山に戻り神になっているそうです。

そして、江戸時代には安寿を苦しめた山椒大夫と山岡太夫は丹後の人だったので、弘前藩領に丹後の人間が入ると安寿の怨霊によって災害が起こって人々を苦しめるとされたそうです。

津軽」の中で太宰治はこの話を引用しながら「へんな話である。丹後の人こそ、いい迷惑である」とツッコミ入れてます。

安寿が岩木山に逃げ込んだ話はまゆつばとしながらも、

「しかし、昔の津軽の人たちは、安寿厨子王が津軽の子供である事を堅く信じ、にっくき山椒大夫を呪うあまりに、丹後の人が入りこめば津軽の天候が悪化するとまで思いつめていたとは、私達安寿厨子王の同情者にとっては、痛快でないこともないのである」

と書いちゃうあたり笑えます。

 

今回の旅行は直前に太宰の「津軽」を読んでいたので影響受けまくりです。

旧大八師団長官舎(国登録有形文化財) 現在はスタバ



藤田記念庭園の大正浪漫喫茶室

藤田記念庭園(国有形文化財

藤田記念庭園にある洋館は喫茶室になっています。

庭は有料なので喫茶室から庭を眺めることに

この写真にはありませんが岩木山が見えます

ここでは食事もできますが、市内のアップルパイのうち数種を扱っているので、休憩がてらアップルパイをいただきます。

庭を見ながら、洋館でお茶なんて私の旅行にしては珍しく優雅。

ただ、人気があって30分ほど待ちました。

 

アップルパイについては食べ比べ記事をまとめて書きますね。

 

弘前城

岩木山をバックに鉄人28号くんと弘前城

こぶりな弘前城

これで現存十二天守はコンプリート。

以前岩木山八甲田山・八幡平に登るツアーに行きながら、弘前城はまだ行っていなかったので、夫さんと行こうと言っていたのです。

 

カトリック弘前教会

ゴシック式の祭壇はオランダからの寄贈

見学自由とあったけれど、夕暮れが迫っていたので中には入らず。

後からガイドを見たら「ステンドグラスには岩木山、りんご、津軽三味線などが描かれてとてもきれい」とのこと。惜しいことをしました。

日本キリスト教団弘前教会(県重宝)

明治8年に創立された東北最古のプロテスタント教会。クリスチャン棟梁桜庭駒五郎が設計。

こちらはミニチュアの弘前教会

 

翌日、この日は駅でレンタサイクルを借りられたので、急ぎ建物巡りの続きと太宰の学びの家だけ行っておきます。

自転車なら行くのも楽です。

 

観光地図に載っている善林街の長勝寺の山門。

城下町なので、枡形の道があったり、黒門はかつての城の遺構の一部だったりと歴史を感じます。

 

長勝寺山門(重文)

長勝寺津軽家の菩提寺で当初鯵ヶ沢にありましたが、弘前城築城と共に南西の守りとして現在地へ移転。

山門は修復中でした。

 

きれいに岩木山が見えます

東京の下町育ちだと、山は身近ではない。もちろんお城もない。

常に見上げると山があるとか、お城の天守閣があるとかって少し羨ましい。

栄螺堂(市指定有形文化財

栄螺堂は天保10年弘前の豪商中田嘉兵衛が寄進。八角形の内部は右回りの回廊と直進階段を併用して昇降する珍しいものだそうです。

 

太宰治の学びの家

駅まで戻る途中に太宰治の学びの家に寄ります。

藤田家住宅

親戚の藤田家に弘前中学に通う間下宿していたそうです。

多分ファンなら嬉しいはず

太宰の使っていた部屋が見られます。

この服は本物かな?

今回の旅行も本当は弘前の後、金木に行き斜陽館に行き秋田に抜けるつもりだったけど、五能線が豪雨で不通になっているので、そちらは次回にお預け。

でも青森に来たら太宰ゆかりに行った方がいいかなと思って訪問。

中学生の団体と一緒になり、太宰の写真を見て「かっこつけとるな、こいつ」と言っていました(笑)

 

 

こうして、弘前には1日弱いて観光終わり。

歴史的な建物もお城、寺社と洋館と多彩で歩いて見て回るのが楽しかったです。

世界遺産三内丸山遺跡に行ってきました

土偶か埴輪かと聞かれたら断然埴輪派なのですが、世界遺産ハンターとしては「北海道・北東北の縄文遺跡群」はぜひとも行きたいところ。

規模が大きく公共交通機関でも行きやすいところということで、青森市三内丸山遺跡に行ってきました。

七戸十和田まで新幹線に乗り、十和田市現代美術館を見学して妹と会ってから、青森に移動し青森に泊まりました。遺跡に行ったのは二日目の午前中です。

 

朝食は魚菜センターのっけ丼

駅からも近い

以前バス旅で太川陽介さんが食べて気になっていたのっけ丼。

開店前からお店の前には行列ができてすごい人気ですね。

チケットの値段が変わり、10枚2000円、5枚1100円。

ネタによってチケットの枚数は色々

ご飯でチケット1枚、あとはネタによってチケットは色々ですが、一人で10枚は多いかなと思い5枚にしてしまいましたが、残してもいいから豪勢に行っちゃえばよかった。

(私はウニなどの高いネタが好きでないし、量もそんなにいらないと思った)

味は美味しかったけど、かなり貧相。ケチケチ心が悔やまれます。

ホタテとサーモンと中トロ

同じように5枚にした女性がそばにいたけど、そちらも貧相な丼でした(笑)

 

三内丸山遺跡への行き方

青森駅からはねぶたんという周遊バスがありますが、始発が9時。

9時開館から見学したい私は市内の路線バスで行きました。

青森駅前6番乗り場から、8時発の美術館線S51。

ただ、これが遺跡についたのって8時35分。9時までみんなで寒い中ぼんやり待ちました。

結構同じように早いバスで来る人いるので、もっとちょうどいい時間にバスを走らせてくれないかしら。

朝方は曇っていて寒かった

ガイドツアーに参加

9時に開館して、みんなやっと中へ入ります。

社会科教員免許を持つ私、縄文時代の定義が私の子供の頃とはガラリと変わっているけど、アップデートはしているつもり。

三内丸山遺跡についても予習はかなりしてきたけれど、現場でしか聞けない話もあるかもとガイドツアーに参加しました。

トンネルを抜けると遺跡復元地域

縄文時遊館(中にはシアター、展示室、整理作業室、お土産屋さん、レストランなどがある複合施設)を通って外へ出ると、東京ドーム九個分42hの広大な敷地に縄文の村が再現されています。

何度もテレビで見た掘立柱建物が遠くに見えてテンション上がります。

ガイドさんに30人くらいでついて行く

世界遺産になるまで

そもそも、江戸時代からこの遺跡の存在は知られていました。

が、平成4年から始まった野球場の建設のために発掘調査をしていたら、これまでの採集生活で移動をしていたという縄文時代の定説が覆されるような発見がありました。1000年以上も大人数で定住している巨大な集落跡が見つかったのです。

当初は一通り調査したら記録し埋め戻す予定でしたが、世紀の大発見に野球場建設どころではなくなり、遺跡保存の機運が高まったと言うことです。

そして、2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」という世界遺産の構成遺産の一つに登録されました。

紀元前3900年から紀元前2200年頃に、定住生活をしていた拠点集落とされています。

 

縄文時代は今よりも気温が高く海がすぐそばまで迫っていました(縄文海進)。

貝や兎、むささびなどの小動物が多く、鹿や猪などの大物の骨の出土は少ないです。

多様な果実や種子も見つかり、黒曜石や翡翠などの発見から遠隔地との交易を行っていたことも分かります。

(これがいつも不思議。地図も文字ももたない古代人が遠くの地方とどうやって交易できたのか。色々調べたり人に聞いても納得のいく答えがない)

 

墓や祭祀の跡も見つかり、文化的な生活をしていたこともわかっています。

研究でだんだんと分かるって素晴らしいですね。

湿地帯にあったので腐らずに残っていた縄文ポシェット(編んだ籠)



ガイドさんは残念ながらハズレ

ガイドさんがツアー中に「あそこが一塁ベース、あそこに三塁ベース、7割方できていた」「プロ野球ができるような野球場がないのは青森くらいだけど、私はこの遺跡の方がいい」という話を3回くらいするので閉口します(笑)

最初の時は微笑ましく聞いたけど、いくらウケても3回は多い。

 

大型掘立柱建物

三内丸山遺跡のシンボル的存在。

大型掘立柱建物(復元)

柱穴と柱が見つかったことから、この規模の建物を作っていたということがわかったそうです。

柱穴は直径深さとも約2mで、直径1mの栗の柱が残っていました。

地中の湿度が高く保存状態が良かったのです。

復元建物の横に建物跡の展示あり(中にある柱はレプリカ)

穴や柱にかかっていた圧力から柱の高さは約15mと推定されました。

栗は丈夫で虫もつきにくいし、柱の表面を焼いて腐らないようにしていたそうです。

古代人もそういった知恵があったのですね。

栗の木は、建物に使うためだけではなく、食べるように植林していたともいいます。

採集だけでなく、栽培もしていたんですね。

私の子供の頃の「不安定な採集生活の縄文時代」の記述は今ではありません。

高さは15m、直径約1m、柱の間隔は4.2m

復元に使われた栗の木はロシア産だと言いますが、これを結んでいる蔓は何の植物かしら?(それとも復元の蔓は樹脂か何か?)

これだけの太い木を結ぶということは長さも必要だし、巨大な建物を維持するには強度も必要。縄だとすれば素材は何?

ガイドさんに移動中に「あのつるは何ですか」と聞いたら不機嫌そうに「これから説明します」と言われ待っていたけど、結局答えはなかったのでネットで調べればいいやと思っていたら、未だに見つけられないです。

 

ここでガイドツアーを離脱しました(このツアーは離脱自由と開始前に言われたので)

後は自分で解説板を読みながら見学しました。

太い木を結んでいたあの蔓は何でしょう。

藤蔓?青森のような寒いところで藤って育つ?

どなたか教えて下さーい。

 

大型竪穴建物

集会場や儀式の場として使われたと考えられます。

長さ約32m、幅約9.8mで日本最大(紀元前約2800年)

内部はかなり広い

内部の柱もやっぱり焼いてあります。

縄文のムラ遠景

高床式建物や竪穴式住居、盛土の跡などを見学しました。

北盛土

たくさんの土器や石器が土と一緒に捨てられた場所。

南盛土

南盛土は断面がわかるように展示してあります。

竪穴式住居の復元

ミュージアムの展示は充実

見学を終え、時遊館に戻り初めに見られなかった紹介映像8分を見ます。

遺跡のことがざっくり分かります。

展示品は修復してあり、すべて本物。

有名な土偶

手前にあるのが木柱

解説板

見つかった栗の木も遺跡内にあるのはレプリカでこちらが本物。

土偶はみんな口があんぐり

石のネックレスって・・・おしゃれも大変

石器や土器などを見る。

縄文土器ずらり

装飾がある縄文土器だなあと思いながら。

古墳マニアなので、縄文土器よりは須恵器のほうをよく見ます。

 

ビッグウォールに感嘆

1列約320個、1面に約5120個、6mの巨大な地層復元

すごいなあと思ったのが、ビッグウォール。

この地に1000年以上にわたって定住していたので、土器など日用品が廃棄されて堆積していました。

それが再現されている壁。

下の時代のものは黒っぽく、だんだんと明るい色の土器になるというのもへぇーと。

修復作業も何段階もあるのですね



修復作業をされている研究員の方を見ることができるのもマニアとしては嬉しい。

(史学科を出ている私は学生時代、発掘実習に行きました。2週間の間、掘ってもでてきたのは水だけ。にじみ出た水をスポンジで吸い取りながら掘り進めていました。

洗い作業とかしたかったなあー)

 

レストランと土産物屋さん

ミュージアムグッズでは本などの資料だけでなく勾玉作りやミニ土偶作りキットなども売っています。

その他に、青森のお土産屋さんもあります。

縄文うどんには栗、どんぐり、長芋が練りこまれている

夏ならいいけど、この日は寒かった・・・

「五千年の里」というレストランでは、遺跡っぽいメニューもありますが、私は「ソフト栗夢・極」を食べました。栗ソフトだけでなく、マロンペーストや黒豆、白玉なども入っていて美味しかったですよ。

鉄人28号くんと一緒に

ただ、こういうところの常としてちょっとコスパ悪いかな?

 

本当はこの後隣接する青森県立美術館に行きたかったのですが長期閉館中でした。

調べが足りなかった・・・

 

この三内丸山遺跡は公共交通機関でも十分いけるけど、他の縄文遺跡はどこも駅から遠い。かといってペーパードライバーを卒業する気力はない。

他にも見たいところはたくさんあるけど、なかなか難しいです。

三内丸山遺跡は縄文海進のために海の傍の遺跡ですが、秋田の内陸などの縄文遺跡は何を食べていたのか?とか出土した土器はどんなもの?気になります。

 

大湯環状列石と伊勢堂岱遺跡なら何とかいけるかな。