しゃおれんの旅日記

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御陵印を頂きに参りました③伏見桃山御陵と桃山陵墓監区事務所


御陵印を頂くことをテーマに旅行をしてきました。

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 3つ目の事務所は、明治天皇陵(伏見桃山御陵)の隣にある桃山陵墓監区事務所です。

明治天皇陵はそれはそれは立派でした。

 最寄り駅

 伏見桃山御陵の最寄り駅はいくつかあります。

JR桃山駅(徒歩17分)、京阪宇治線桃山南口駅(徒歩11分)、京阪本線伏見桃山駅(徒歩24分)、近鉄桃山御陵前駅(徒歩21分)

午前中に畝傍御陵に行き、近鉄で北上した私は桃山御陵前駅から行くことにしました。

桃山南口駅からは近いですが、御陵の前にそそりたつ石段があるので、階段が苦手な方は別のルートをお勧めします。

 

御香宮神社

桃山御陵前駅を降りたら、立派な神社がありました。

気になって入ってみました。

 

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御香宮神社

ご祭神は神功皇后。安産の神様でした。

おばちゃんには関係ないけど、立派な神社なので入っていきます。

 

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鳥居をくぐって参道を歩く

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表門は桃山時代らしく豪華絢爛

平日でしたが、七五三祝いのご家族連れが数組いて(密を避けるために平日に来たのかも)とっても可愛らしい。

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本殿は家康が造営

御祈祷されている家族連れが多くて本殿の写真は割愛。

御香宮神社の名前の由来は、病気平癒の香水がわき出たため。

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御香水

こちらのお庭は小堀遠州が作った石庭ですが、先を急ぐ旅のためここでルートに戻ります。

 

桃山御陵

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ここから御陵の敷地内になります

散歩されている方も少々。

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案内図

こちらには明治天皇伏見桃山陵昭憲皇太后伏見桃山東陵と桓武天皇の柏原陵があります。

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静寂以外の言葉が浮かびません

小雨の中、深い森の中を歩く感じ。

前を歩いているおじさんに追いつけるかと思ったらこれがまたエラく速い。

もしかして陵墓を守る仙人だったのかな?くらい。

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伏見桃山城の石垣に使われた石

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明治天皇 伏見桃山陵

上円下方墳です。大きくて圧倒されます。

京都で生まれて東京に出てきて、近代日本に生まれ変わっていくのを見ながら、そして最後は京都に祀られて、激動の一生だと思う。

当時の国民もそうですけどね。

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石段

桃山南口駅から来た場合、このすごい石段を登ることになります。

しかし、この後桓武天皇陵に行く予定の私は階段を降りず、来た道を戻ります。

桃山陵墓監区事務所

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こちらには29印あります

なんとこちらには神代三陵の御陵印があります。

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可愛山陵(えのみささぎ)

天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)の可愛山陵(えのみささぎ)

亀の絵が描かれていて可愛らしいですよね。

ニニギノミコト神武天皇の曽祖父。天照大御神の孫で高天原から日向に降りてきた方です。

御陵は鹿児島にあるのに、御陵印を京都でもらえるなんて♪

 

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高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)

天津日高彦火火出見尊(あまつひこひこほほでみのみこと)はニニギノミコトの子、神武天皇の祖父です。

こちらの御陵も鹿児島にあるのに京都でいただけるのでありがたいです。

 

押すのを失敗してなんとか「高屋山上陵」と読めるかなぁといった感じです。

 

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吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)

天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(あまつひだかひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)は神武天皇のお父さん。

鹿児島に御陵がありますが、桃山御陵でいただいたリーフレットを見ると、墳形が「洞穴」!参拝したい気もありますが、最寄りのバス停から約5.6km、徒歩1時間とあるのを見ると遠方より思いをはせるだけで許してくださいませ。

 

伏見桃山

明治天皇陵に参拝の後、桓武天皇陵へ向かいます。

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桓武天皇陵への案内

Googleマップを確認しながら進むと「伏見桃山城」の文字が。

どうやら復元されたお城があるようです。

 

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大手門?

来歴を見たら、ここは以前「伏見桃山キャッスルランド」という遊園地だったんですね。

1964年にオープン、2003年に惜しまれつつも閉園したものの模擬天守は残り、今は運動公園となっています。

模擬天守の中には入れませんが、城内のお庭はきれいに整備されていて、なかなか立派でした。

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天守

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天守

平日の午後は全く人気がなく少し寂しい感じですが、桜の頃などはきっときれいなんだろうなあと思いながら鑑賞。

日本人はホントお城が好きなのねぇ。

 

桓武天皇

京都に遷都した桓武天皇陵はこちらにあります。

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桓武天皇陵(柏原陵)

看板の先に拝礼所がありました。

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明治時代に修復されました

桓武天皇陵も中世には所在地が不明になってしまい、明治時代に現在の位置を柏原陵に定めたそうです。

秀吉の伏見桃山城の築城の際にこの付近は大幅に造成が行われたようで、もしかしたら削平されてしまった可能性もあるようです。

今回、御陵印を頂く旅をするにあたって、少し調べただけでも色々なことがわかって勉強不足を実感しました。

反省です。

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桓武天皇柏原陵」印

 

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京阪丹波橋まで徒歩13分強

 今回の旅はGOTOキャンペーンの真っ只中なのに、全く密ではなく「疎」♪

心行くまで、すがすがしい空気を堪能しまくっていました。

 

京阪丹波橋には15:30に到着。

この後、泉涌寺境内にある月輪陵墓監区事務所に行けばミッションクリア。

丹波橋駅泉涌寺のある東福寺駅は乗車時間は10分。

急ぎます!



王陵の谷めぐりー河内飛鳥・上の太子町

御陵印を頂く旅をしてきました。

その時にただ御陵印を集めるだけでなく、なるべく御陵を周りたいと思い、午前中に古市陵墓監区事務所に行ったので、午後は王陵の谷ともいわれる河内飛鳥の地を散策してきました。

 

二つの飛鳥

関東出身の私にとって、飛鳥と言ったら奈良県明日香村のことしか思い浮かびませんが、大阪にも飛鳥という地名はあることを勉強するうちに知りました。

古事記」によると

反正天皇が難波から石上神宮へ参拝するときに二泊した地を近いほうを「近つ飛鳥」(現在の大阪市羽曳野市飛鳥近辺)、遠いほうを「遠つ飛鳥」(現在の奈良県明日香村飛鳥)と名付けたそうです。近つ飛鳥には渡来系氏族も多く国際色豊かな地域でした。

 さらに、南側の磯長谷は「王陵の谷」とも呼ばれていて、聖徳太子推古天皇用明天皇などの多くの天皇陵があります。

 

近つ飛鳥博物館

河内長野の「喜一」さんでふるさと納税でいただいた「三段弁当」ランチを美味しくいただいた後で、近鉄喜志駅へ移動。ここからバスで博物館へ向かいます。

博物館へのバスは本数が少ないので博物館のHPなどで時間を確認してください。

 

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近つ飛鳥風土記の丘

バスに乗ること15分弱、風土記の丘の前でバスを降り、博物館にはこの丘を横切っていきます。

この丘自体が一須賀古墳群という群衆墳が分布している地なので、それらをめぐりたいところですが時間の関係で博物館へ直行です。

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案内があるので迷うことはないと思います。

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屋外にさらっとある石室跡

博物館の入館料は310円。

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仁徳天皇陵古墳の模型

縮尺150分の1の模型とその周囲には古墳づくりや当時の人々の暮らしの様子が再現されていて、ジオラマ好きとしては楽しかったのですが・・・

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石棺を収める様子

複製品や復元品などが多くて、うーん。社会科見学などで行くにはいいけど、大人が行くのはどうなんだろう?

あっさり見学を終えました。

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建物は安藤忠雄氏の設計

この後、王陵の谷めぐりをしながら上ノ太子駅をめざします。

 

たどり着けなかった蝦夷の墓

博物館から上ノ太子駅までの散策ルートをGoogleマップで調べていたら、博物館のすぐ近くに「伝・蘇我蝦夷の墓」がありました。

あまのじゃくな私は蘇我が本当に悪者なのか?という思いから蘇我氏推しなので、どうせなら「伝でもいいから蝦夷の墓に行ってみたい」と思いたちました。

が、博物館から15分で着くというその場所には何もありません。

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おそらくここなのですが・・・

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到着しているはずなのに・・・

なんどもウロウロして経路を検索しなおしたりもしましたが、ここだという。

Googleの書き込みでは最近も行っている方の口コミもあったのに。

地図には自信があった私ですが、たどり着けなかったことと30分近く時間をロスしたことでしょんぼりしてしまいました。

 

推古天皇

伝・蝦夷の墓から徒歩23分強。推古天皇と竹田皇子の合葬の推古天皇陵(磯長山田陵)に行きました。

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王陵の谷の墳墓のうちの一つ

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推古天皇陵(磯長山田陵・山田高塚古墳)

植山古墳(橿原市にある古墳。推古天皇と竹田皇子の陵墓との説も)から改葬されたと考えられています。
思えばこの地に多くの陵墓があるというのは、ここが当時権勢を誇っていた蘇我氏の勢力圏だからなのでしょうか。

今は本当にのどかな田園地帯です。

 

小野妹子

農道を通っていけば多少近道だったのに、どうも大回りをしてしまったようです。

推古天皇陵から科長神社へ20分ほどかかり、小野妹子墓にも行ってきました。

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科長神社の横の階段の上にあります

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小野妹子

遣隋使として有名ですが、小野妹子は実は第二次遣隋使。

第一次遣隋使は先進文化国の隋から全く相手にされなかったので日本側の歴史から抹殺されてます(笑)

そこから改革をして(17条の憲法などを作ったのもそのため)、第二次には小野妹子が「日出づるところの~」を持っていき煬帝に怒られて、国書を失くしたりもしましたが(失くしたことにしたいほどの内容だったのかも?)、成功したといえるのではないでしょうか。

奈良の明日香と思っていましたが、ここに葬られていたんですね。

 

孝徳天皇

乙巳の変(今では入鹿が倒された事件自体はこう呼んで、大化の改新はその後の改革を示すそうですね)後に、皇位についた孝徳天皇の陵は磯長谷にあります。

小野妹子墓から徒歩15分。竹内街道沿いにあります。

住宅街に戻ってきましたが、自販機もコンビニも見つけられません。

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めざす拝礼所は階段の上です

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孝徳天皇陵(大阪磯長陵・山田上ノ山古墳)

難波宮崩御されたのにここに埋葬されているのはなぜでしょう。

もっと勉強しなければ。

 

ここまで来たからにはと、大化の改新つながりで蘇我山田石川麻呂の墓にも行ってみます。

蘇我倉山田石川麻呂の墓

孝徳天皇陵から約10分。仏陀寺というお寺の前に碑がありました。

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仏陀寺の前に碑があります

後に調べたら古墳もあったようですが、そのときはお寺の中には入れなそうな雰囲気だったためこの碑の写真を撮っただけになりました。

 

蘇我馬子

石川麻呂の墓まで来たら、そばにある馬子の墓にも行かないと。

(伝)ですけどね。12、3分ほどです。

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蘇我馬子墓(植木家墳墓)

来歴を見ると、一時は妹子の墓と伝えられたこともあるこちらの墳墓。

蘇我氏ゆかりということは間違いないようです。

かなり傷んできたので、平成17年に植木さんが直したと碑にありました。

すばらしい!私にも余剰財力があれば文化活動におおいに貢献するのに!

 

用明天皇

磯長谷には、推古天皇陵、聖徳太子の廟、用明天皇陵、敏達天皇陵、孝徳天皇陵と5つの陵があり、王陵の谷と呼ばれているのですが、この5つの陵が梅の花のように見えるので梅鉢御陵ともいうそうです。

御陵印の旅なので、すべて行きたいところです。

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叡福寺東の交差点から太子中学のほうへ行ってください

用明天皇聖徳太子のお父さんです。

ここに行くためにまたもGoogleマップの情報に惑わされました。

叡福寺東の交差点から用明天皇陵に行くときにGoogleマップの案内通りに進んでいたら、新興住宅街の中に入っていきます。

道も若干登り基調。子供も多くて新しい町といった印象。

が、用明天皇陵の拝礼所が見えるのは、なんと住宅街の家の向こう。

Googleマップの更新が追い付かなくて、以前は通れた近道が今は住宅で通れないようでした。

と、いうわけで、叡福寺東の交差点まで戻り、太子中学校のほうへ向かって拝礼所までの参道を通り参拝しました。

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用明天皇陵(河内磯長原陵・春日向山古墳)

まよったせいで15分くらいウロウロ。

これは、仏陀寺からまず用明天皇陵に行き、それから馬子の墓にいったほうが動線がよかったかも。

 

この後は叡福寺へ戻り(約10分)、聖徳太子廟をお参りです。

聖徳太子廟(叡福寺)

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聖徳太子の廟

多宝塔が遠くからも見える叡福寺。聖徳太子はこちらに生母の穴穂部間人皇后と后の膳郎女と合葬されています。

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宮内庁の看板は「推古天皇皇太子磯長墓」

天皇でなくても皇太子なら陵でもいいのでは?と思う。

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菊の御紋。聖徳太子の墓は直径50mほどの大きな円墳です

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彫刻が目に入ったので

仏教を広めようとした太子ならではと思い写真を撮りました。

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夕日がきれいでした

時刻は4時半。

梅鉢御陵には敏達天皇陵が残っていますが、すでに秋の夕暮れ。バスは1時間に2本程度で待ち時間が長かったので、叡福寺から2km弱を上ノ太子駅まで歩きました。

叡福寺の周りは住宅街ですが、上ノ太子駅まで途中で民家がとぎれてしまうところもあるし慣れない土地なので、暗くなったら歩くのは少し心配です。

日が沈み切る前に駅につかねば!と一生懸命歩きました。

 

ちなみに叡福寺から敏達天皇陵まではGoogleマップでは徒歩23分。

こちらに寄っていたら真っ暗になりそうで今回は泣く泣く断念。

梅鉢御陵コンプリートならず。

 

河内飛鳥散策

他に上ノ太子町には、今回は全くかすりもしませんでしたが、河内源氏ゆかりの地などもあります。

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今回の行程(Googleマップ上では10.3km)

実際には多少迷ってウロウロしているのでもう少し距離が長いと思います。

観光しながらだったので、喜志駅を13時にスタートし上ノ太子駅についたのが17時でした。

それでも、博物館は駆け足だったし、叡福寺ではわずかの差で宝物館に入れず。

休憩するところも見つからなかったので、暑い季節の散策は気をつけないと。

無人販売所のみかんをたくさん見たので、いざとなったらみかんで水分糖分を補給かな。

御陵印を頂く旅なので、御陵を参拝しながら、蘇我氏の墓(伝ですけど)もまわり、このあたりが当時の先進地域だったんだなあと考えながら歩きました。

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さすが太子町のマンホール

 

 

御陵印を頂きに参りました②畝傍御陵と畝傍陵墓監区事務所

御陵印を頂くことをテーマに旅行してきました。

 

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 大和八木のゲストハウスに2泊して、大阪・奈良・京都の4つの監区事務所を周り2日で94印の印を集めました。

2日目は午前中に、唐古・鍵遺跡に行った後、畝傍陵墓監区事務所に行き、

午後に桃山と月輪に行くというフル回転。

東京から次はいつ来れるか分からないのと、何度も京都や奈良には来ていることから、集中して周りましたが、あまりこの行程はお薦めしません。

残り2印は東京の多摩陵墓監区事務所にあります。

 畝傍御陵

大和八木からレンタサイクルで畝傍御陵を目指します!

 しかし、この日は曇り時々雨という最悪のコンディション。

朝いちばんで唐古・鍵遺跡に行ってきましたが、畝傍御陵に行く頃にはしとしとと優しい雨が降り続いていました。

レンタサイクルを借りてしまったので強行しましたが、普通に畝傍御陵前駅から歩いて10分強で行けます。

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畝傍山東北陵(神武天皇陵)

砂利道を進んでいくと、広大な拝礼所が見えてきました。

駅名など畝傍御陵ですが、正式には畝傍山東北陵です。

神武天皇は紀元前660年に即位したそうですが、その陵は中世には所在が不明になり、江戸時代から所在地の研究が始まりいくつかの候補地の中からこの地が選ばれ、明治時代に皇国史観の高まりとともに修復され、現在に至るそうです。

ざっくり言うと、こちらが本当に神武天皇陵かどうか、そもそも神武天皇が実在の天皇かどうかもかなり怪しいと思われます。

が、今回の御陵印をいただく旅については気にしません!

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拝礼所から

 

畝傍陵墓監区事務所

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畝傍御陵の隣です

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入口入ってすぐの所にセットしてありました

こちらの事務所には30印。一番多くの印があります。

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圧巻の30印。96代後醍醐天皇がいるのが驚き

朱肉が薄かったので、印泥に挑戦しましたが慣れていなくて大苦戦。

やっぱりマイ朱肉を持参すべきでした。

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神武天皇(右上)と綏靖天皇(右下)はどう見ても失敗?

試し押しをしていましたが、要らないコピー用紙の裏と御陵印帳の紙質が違うため、神武天皇の印は力加減が合わず失敗。

綏靖天皇印は真ん中が薄い・・・

こんな時に、白紙の画用紙があれば押し直してここに貼れたのに・・・・

 

御陵印帳の後ろのほうに余白頁があったのでそちらに押しました。

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上が神武天皇、下が綏靖天皇です

綏靖天皇印は真ん中が摩耗しているみたい。

 

ちなみにこちらの事務所でいただく印の中には個人的に好きな天皇の印があります。

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天武天皇持統天皇陵印

私は天武天皇が好きなのですが、皇后の持統天皇との合葬されている檜前大内陵の印が畝傍陵墓監区事務所でいただけました。

この次の日には明日香村に行って、檜前大内陵や文武天皇陵も行ってますよ♪

欽明天皇くらいから桓武天皇くらいまでなら、后や皇子皇女も含めて家系図が書けるくらいこの時代は好き。

といっても、学術的にというより、マンガや小説で勝手にイメージを仮託して好きと言っているだけですが。

 

とにかく御陵印をただ集めるだけでなく、なるべく御陵には行ったほうがいいと私は思います。

橿原神宮

畝傍御陵に行くなら橿原神宮にも行かないと。

ただ、前日は近くまでいっていたのに雨のせいで心が折れゲストハウスに戻ってしまったので、

次の日に明日香村に行く前に橿原神宮を参拝しました。

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ご祭神は神武天皇

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橿原神宮

朝の清々しい空気、静謐な境内と書きたいところですが、写真ではわかりませんが、朝の清掃中で、しかも落ち葉を大轟音で吹き寄せていました。

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朝早くからお参りする方多数(散歩の途中?)

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私欲にまみれた私でも神社に来ると心が落ちつくのは、日本の神様の寛容さのおかげ?

深い森と余分な装飾のない神社で、日ごろの感謝を述べるだけでなく、つい「これからもお願いします」と願ってしまう。

 

前回来た時には回廊に神武東征の物語が飾られていてとても面白く読んだのに、今回はなかったのでがっかり。

 菊花展があったのでそちらを見て心を癒し、橿原神宮前でレンタサイクルを借りて、次の日も力いっぱい観光しました。

御陵印を頂きに参りました

御朱印や御城印などお参りの記念になるスタンプが流行っていますが(お城は参るものかはさておき)、
古代史好きな私が見つけたのは「御陵印」

 御陵印とは

天皇陵にはそれぞれ御陵印があるのです。

平安時代以降合祀されているものについては一代一つの印ではないので、

歴代124代のうち天皇の御陵印は93、神武天皇以前の神代3代とあわせて96印あります。

これらが、96印をそれぞれ周って集めるとなると大変ですが、なんと全国5か所の陵墓監区事務所に伺うだけで揃うのですから、ぜひとも集めたい!

これまで知らなかったのですが、戦前から存在していて集めている人も実は多いようです。

応神天皇陵(誉田御廟山古墳)などこれまでいくつか御陵をお参りしてきましたが、今回は特に御陵印を頂くことをメインテーマに旅行をすることにしました。

 

※ざっくり解説すると、

古墳:古代に造られた墳丘墓。日本各地、中国や朝鮮半島にもある。豪族の墓なども含む。

御陵:歴代の天皇や皇后、太皇太后、皇太后が祀られている所を御陵または陵という。宮内庁が管理しています。

陵墓:そのほかの皇族の墓と御陵を合わせて陵墓といい、宮内庁が管理している。

考古学的に、〇〇古墳が本当に○○天皇陵かどうかという問題は今回は考えず、陵墓監区事務所に御陵印を頂いてきました。

 

あると便利なもの

御陵印は無料でいただけます。

が、御陵印は専用の御陵印帳に押したほうが便利です。

どんな紙に押印してもいいのですが、自分で第何代・〇〇陵などを整理しておくのは結構大変です。

5ヶ所の陵墓監区事務所は即位順の区切りではないため、専用の御陵印帳があったほうが便利だと思います。

ネットで見たら、豪華な装丁の御陵印帳や、布に押印したものを掛け軸に仕立てたものなどもあって、熱量の差を感じます。

そして、事務所には紙や朱肉など一切無く、販売もしていないので、自分で必ず用意してください。

 

私は、簡単なガイドブック付きのこちらを購入。

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御陵印帳は蛇腹式です

 

朱肉とウエットティッシュと当て紙は必須

ガイドブックにありましたが、監区事務所の朱肉の状態が悪いこともあるそうで、そうなるとせっかく来たのに押印できないということもあるため。

私は朱肉が薄いところは、印泥を使い押すことが出来ましたが、慣れなくて綺麗に押せなかったので、マイ朱肉を持って行った方がいいです。

 

また朱肉で周囲を汚さないためのウエットティッシュや、御陵印を押印した後は当て紙があったほうが絶対にいいです。

慣れないためか、結構手に着きました。御陵印帳もちょっと汚れてしまったし。

 

あったほうがいいもの歯ブラシとか楊枝とか

それと印影が埋まっていてはっきりしないところもあるので、歯ブラシや楊枝とかあった方がいいかも。

私は事務所の方に必要なく遠慮して、早く終えなければ、と思ってどんどん押していましたが、

待っている人がいなければ丁寧に印泥の繊維とか取れば良かったと後悔しています。

 

もう一つ後悔しているのは、試し押し用の紙があったら良かったです。

持っていた要らない紙に試し押しをしていましたが、コピー用紙と御陵印帳の紙質が違うので、押してみて力加減が違った!ということがあります。

それと、失敗した時に押す白紙があれば良かったなぁと。

 

私は御陵印帳の余白ページに押しましたが、ちょっと後悔しています。

 

参考図書

史学科卒業、教員免許を所持しているとはいえ、古代史以外の天皇については有名な方しか分かりません。後醍醐天皇後水尾天皇とか孝明天皇とか。

なので、移動中など予習・復習をしていました。

検索すればいいじゃないかと思いますが、やっぱり系統だって調べてから行ったほうが何倍も面白いと思います。

 

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本はお好みで

 

今回2泊3日の旅で奈良・京都の4ヶ所の陵墓監区事務所を周ることができました。

事務所に直行するのではなく、陵墓にお参りすることもお忘れなく。

それぞれの旅についてはこれから書いていきたいと思います。

 

後は、東京で大正天皇昭和天皇の御陵に参拝してから印をいただけば完成です。

御陵印を頂きに参りました①古市陵墓管区-雄略天皇陵から応神天皇陵など

御陵印を頂く旅の初日です。

 

夜行バスで東京を出て、難波についたのは朝6:30

朝早くから活動開始したかったのと、コロナ対策のため個別シートでカーテン付のほうがむしろ安全なのでは?と夜行バスを選択。

なんばから近鉄に乗り換えて古市古墳群に向かいます。

東京出身の私にとって、関西の電車を乗り継ぐのはとても大変。

事前に動線を練りに練って行きました。

今回、徒歩で周りましたが、レンタサイクルがあるのでそちらを利用した方が絶対便利です。

 

雄略天皇

高鷲駅からまず雄略天皇陵へ向かいます。

徒歩13分、住宅街を抜けていきます。通勤通学の人が多いです。

そして何よりカラスが怖いくらい多い。

 

そんなこんなで到着!

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雄略天皇陵(丹比高鷲原陵)

 

雄略天皇は「ワカタケル大王」とも言われ、稲荷山鉄剣(行田で見てきましたよ!)にその名が刻まれており、倭王武に比定されています。

御陵名は「丹比高鷲原陵」(遺跡名は「高鷲丸山古墳」)、直径75m、高さ8mの円墳です。

国内でも12番目の大きさの円墳なのですが、
前方後円墳全盛期にいくら大きいとはいえ円墳というのが不思議です。

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古市古墳群の古墳は説明の看板が親切です

 

「丸山古墳を雄略天皇陵と想定した上で、円墳ではなく前方後円墳だったのでは?と考え、造作された平塚の前方部ではなく未発見の前方部があるのでは」という説(1970年代・末永雅雄氏)や、

「他の5世紀の陵と違い、中国とも外交関係を結んだ雄略天皇なので、当時の中国南朝のような大円墳を作ったのでは」という説(森浩一氏・北野耕平氏ら)などあって、これからの研究の成果が楽しみです。

円墳だけでなく、隣の平塚(前方後円墳の前方部という説もある)も雄略天皇陵とされているので合わせてお参りします。

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拝礼所はこちらから

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陵の名前を示した看板を撮らないと写真整理が大変です

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雄略天皇陵 拝礼所

 

しかし、先を急ぐあまり隼人塚に行くのを忘れる。

 

津堂城山古墳

次に向かったのは津堂城山古墳。雄略天皇陵から徒歩15分くらい。

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古墳には八幡神社がありました

こちらは、古市古墳群で最初に作られたといわれ、三段築成で二重の環濠をもつ墳丘長210mという前方後円墳です。

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津堂八幡神社

信長の河内攻めで焼失したものが江戸時代にこの古墳の上に移転され再建されたそうです。

造り出しもあるこの津堂城山古墳。明治末期の発掘調査で長持型石棺や多くの副葬品が見つかり、その規模や副葬品から御陵ではないかと考えられるのですが、どの大王の御陵なのかが未だに議論が続いています。

 

この古墳のまわりは市民の方がお花をたくさん植えていて、とてもきれいでした。

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仁徳天皇陵応神天皇陵も実際はどうでしょう?というのが現在の常識になりつつありますが、今回の旅ではそこには触れず、現在御陵とされているところをお参りしつつ進んでいきます。

 

まだ陵墓監区事務所があかないので、どんどん古市古墳群の未訪問の御陵を巡ります。

近鉄線を南下すると、高級住宅街といった雰囲気の街に。

次の仲哀天皇陵までは30分以上かかりました。

 

仲哀天皇

御陵名は「恵我長野西陵」遺跡名は「岡ミサンザイ遺跡」といいます。

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大きな濠がありました

ミサンザイというのは「陵(みささぎ)」が転訛したものと考えられます。

仲哀天皇日本武尊の次男で、応神天皇のお父さんで、神功皇后の夫さんでと、家族が有名人揃いなのに、ご本人は実在性が疑われるという存在(不敬な気持ちはありませんよー。私は古代史愛好家です)。

ですが、古墳は墳丘長242m、環濠もある立派な御陵です。

以前、白鳥陵(日本武尊の陵)と誉田御廟山古墳応神天皇陵)にも行きましたが、これで前後がつながりました。

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濠のまわりの遊歩道を散歩するご年配の方多し

 

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仲哀天皇陵拝礼所

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青空に映えるワカタケル大王の御陵

アイセルシュラホール

応神天皇陵へ向かっていたのですが、途中にちらりと変わった建物が見えました。

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アイセルシュラホール

藤井寺市生涯学習センターで、考古学の展示室もあります。モズフルカード(百舌鳥・古市古墳群のカード)もこちらでもらえます。

時間が早かったので、展示室は開いてないためまたまた先を急ぎます。

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独特の形

シュラホールのシュラは古墳を作る際の石を運ぶ「修羅」から。この建物の形は岡古墳から出土した船型埴輪をイメージしているそうです。

応神天皇

 

御陵名は「恵我藻伏岡陵」(遺跡名は「誉田御廟山古墳」)

御陵印の存在を知る前に一度訪れています。そのときは白鳥陵も含めて周りました。

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 

 

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 

二度目ですが、やっぱり大きい!さすが日本二位の大きさの古墳です。(体積なら仁徳天皇陵より大きいとのこと)

応神天皇は半島から来た説など色々あって妄想も膨らみますが、お参りは真剣に。

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やっぱり看板は撮らないと

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応神天皇陵の拝礼所は立派でした


 

古市陵墓監区

お参りを終えて、いよいよ今回のメインテーマ「御陵印を頂きます」

 

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拝礼所のすぐ隣にあります

 応神天皇陵の拝礼所のすぐお隣です。

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看板が出ています

挨拶をして玄関のすぐそばの長テーブルにセットを出して貰って、後は放置。

写真を撮ったり、印影を見たりで、17印を押すのに30分近くかかってしまいました。

 

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ここで一人で作業

こちらは、印泥が固くて、朱肉を使いましたが、印の中に色々詰まっていて文字が鮮明に出なかったです。

 

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大きくて立派な印 こちらは仲哀天皇の御陵印です

初めだったこともあり、絶えず事務所の方の話し声も聞こえる中、邪魔しないで早く帰らなきゃと思って、どんどん押しましたが、歯ブラシとか持って行って綺麗にしてから押せば良かったなぁと後悔しています。

 

こんな感じに押せました。

 

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雄略天皇陵・清寧天皇仁賢天皇の御陵印です

大きい印は押しづらいんですね。

第23代顕宗天皇の御陵印は古市陵墓管区事務所ではなく、畝傍事務所にあります。

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たまに番号が飛んでいるので要注意!

今まで大きくても実印、もしくは横版のスタンプとかしか押してなかったので、練習してから行けば良かったです。

 

仲姫命陵(仲津山古墳)

 

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仲姫命陵

こちらは前回も来たのであっさり通過します。

応神天皇の皇后仲津姫の陵です。

 応神天皇陵から仲津姫陵を通って土師ノ里駅まで、お参りもせず歩くだけなら20分くらいあれば行けます。

でも、今回は御陵印を頂くからにはなるべく多くの御陵を行かねば、と思っていたので

土師ノ里駅を通過して、允恭天皇陵に行きました。

 

允恭天皇

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拝礼所見つからず


允恭天皇は、仁徳天皇の皇子で履中天皇反正天皇の同母弟です。

仁徳天皇陵履中天皇反正天皇陵が百舌鳥古墳群にあるのに、允恭天皇陵が古市古墳群にあるのも不思議です。

 

10時50分に土師ノ里駅へ到着。

お昼はふるさと納税でいただいたお食事券を利用。

 

お昼は日本料理「喜一」

土師ノ里駅から河内長野駅へ移動。

駅から2分ほどの日本料理屋さん「喜一」で、ふるさと納税を利用した平日限定の「三段弁当ランチ・コーヒー・デザート付き」をいただきました。

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私は一階の椅子席だったので全体の広さは分からず

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付きだしの次にお刺身

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右の百合根の蒸したのが美味しかったです!

煮物・焼き物・和え物と色々な種類が少しずつたくさん味わえて、このほかに大豆とお肉を煮たものが入ったご飯と赤だしも。

一人旅のときのご飯はいつもテキトウになりがちなので、しっかり美味しく味わえました。

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できたてのわらび餅♪

ふるさと納税でお食事券をいただいたのは今年の2月。春頃に来ようと思っていたのに、コロナ禍でここまで延びました。使うことができて良かったです。

 

 

 

柴又散歩②山本亭・寅さん記念館

帝釈天で彫刻ギャラリーの超絶技巧に感動した後は、ぶらぶらと柴又散歩。

 山本亭

柴又に、アメリカの庭園雑誌で日本4位になったという庭園があるというので行ってみます。(ちなみに1位は足立美術館、2位は桂離宮、3位は松江の皆美館です)

 

葛飾区が管理している「山本亭」は、近代和風建築と純和風庭園が調和した個人の邸宅です。

カメラ部品を製造していた山本栄之助氏が邸宅として整備したもので、廊下にはガラス戸を巡らせて庭を眺められるようになっていたり、洋室の応接間や力車の車夫の待合室を兼ねた門などがあり、小ぶりですが近代建築としての歴史的価値が高いものです。

 

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山本亭の入口(帝釈天側)

入場料は大人100円。しかし、寅さん記念館や山田洋次ミュージアムにも行くなら共通券550円が50円お得!

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お部屋からお庭を見る

天井が高くて、レトロな雰囲気の照明がついています。

コロナで席が離れていましたが、ここでは甘味もいただけます。

(実際、お抹茶をいただきながらゆっくりされている方もいて、写真を撮るのに苦労しました)

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窓が額縁となり絵のよう

庭園は約890㎡あり、お国は滝や池もあり水音が涼しげです。

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廊下には3つの時計

この3つの時計は、柴又、北京、ウィーンという3つの友好都市の時刻を表しています。

ウィーンが友好都市って・・・

寅さんシリーズにウィーン編があることは師匠(夫さん)から聞いている。

なんでも「湯布院だと思って誘われて行ったらウィーンだった」って、パスポートもいつの間に取った?と少々無理な設定(師匠に「黙って楽しめ」と言われる)

 

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鳳凰の間(応接間)

昭和初期の独特なデザイン。漆喰仕上げの高い天井、寄木の床、大理石のマントルピース、ステンドグラスなどがあります。

玄関わきに洋間を設けることは斬新だったそうですよ。

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鳳凰の間の前にある玄関

広い玄関に人力車がありました。

 

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外から見た玄関

右手奥の白い壁のところが洋間でした。

瓦が載ってるのに上げ下げ式の窓がついている洋間という和洋折衷が近代建築らしくて好みです。

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長屋門の中の控室

 

 

こちらの邸宅、平日のみの予約制ですがお部屋の貸し切りができるそうです。

広さ10畳の花の間で、午前9時から12時半までで1,400円!

お弁当もご相談くださいとありますが、素敵な庭園を見ながら女子会っていうのもいいかもーー。

 

園内には防空壕がありました。

 

関東大震災帝釈天の彫刻材が焼失とありましたが、

その後の戦争で山本亭や帝釈天の彫刻が焼け落ちなくて良かったです。

 

山田洋次ミュージアム

山本亭を出て階段を登り丘の上にでると、そこにはミュージアムはなく(看板の指示通りに来たのに)エレベーターで降りると1階がミュージアムでした。

階段を登らずに丘を回り込めば普通にミュージアムに着きます。

山田洋次ミュージアムと寅さん記念館の入場券は2館共通500円です。

 

山田洋次監督の映画に関連する展示がぎゅっとつまっていたり、

全作品の予告編が見られるなどファンなら何時間でもいられるところです。

が、私たちは「あ、この映画知ってる」程度なのであっさり見学を終えました。

 

寅さん記念館

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入口の前には寅さんの雪駄もあります

 

入ってすぐに、再現ジオラマ(寅さんの少年時代から放浪の末故郷に戻るまでの物語が可動式のジオラマで再現)、

撮影スタジオがあって、多くの人が足を止めています。

 

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居眠りしている寅さんと記念写真を撮るスポット


セットの上から照明やマイクを下す人の人形がいて、撮影現場の雰囲気が面白かったです。

 

茶の間にあったテレビでは過去の映画のシーンを放映していて、見ていた人が「そうそう、ここで『俺のメロンは?』って聞くのよ(笑)」と盛り上がっていたりして、寅さんの人気のすごさを思い知らされます。

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朝日印刷のセット

私の子供の頃、実家のまわりもこんな家が多かったなーと見ていました。

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昭和30年代の帝釈天参道の再現ジオラマ

帝釈人車鉄道への旅 

 この展示館で驚いたのが、かつて金町から帝釈天までは人車鉄道が走っていたということ。

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再現ジオラマ

6人と10人乗りの客車を人が押して運行していたというのが驚き!

坂がないからといってもかなりの重労働ですよね。

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もう目が釘付け

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一人分のスペースがかなり小ぶりな当時の客車

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かなり密な車両

帝釈天への参詣者が多くなりこの鉄道が走ったそうです。

今は京成線になっていますが、私たちは金町駅から20分ちょっとブラブラと歩きました。

 

寅さん記念館で私が一番ハマったのがこの人車鉄道の展示でした。

知らなかったーー!

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故郷駅なんて映画らしい

他には歴代マドンナや寅さんの持ち物(いつも持っているトランク)の中身の展示などもあり、みなさん熱心に見ていました。

 

私は寅さんの映画を見ていないので、昭和の下町の雰囲気を味わう感じだけでしたが、映画を見ていた人ならきっと楽しいはず。

映画を見ていない若者も案外レトロ感満載の雰囲気が楽しいかもしれないですね。

柴又散歩①圧巻!彫刻ギャラリー 柴又帝釈天

私は下町出身だが、寅さんが好きではない。

昭和の誇る大衆文化の頂点「男はつらいよ」シリーズを1作も最後まで見終えたことがありません。

親は見ていたけど、寅さんの無責任さに子供ながらイライラして見続けることができない優等生な私。

 

そんな私ですが、関西出身の師匠(夫さん)が「せっかく下町に引っ越してきたんだから柴又に行こう」というので、GOTOムードもあることだし散歩がてら出かけてきました。

 

柴又駅で寅さんとさくらを見る

以前来た時は寅さんだけでしたが、寅さんを見送るさくらの像もできていました。

寅さん像は1999年、さくら像は2017年にできました。

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思いっきり曇天の中旅立つ寅さん

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寅さんの像

 高校時代、江戸川の河川敷でマラソン大会が行われたけど、寅さん像の記憶がないのは昭和生まれのため。

帝釈天参道

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駅前から帝釈天まで参道としてにぎわっています

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高木屋さん

映画のロケでも使われた高木屋さん

 

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同じくとらやさん

こちらは1作から4作まで寅さんの実家とされたお店です。

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焼き草だんごを食べました

あんこの草団子ではなくあえての焼き草団子。海苔の風味がよく美味しかったです。

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観光案内所

おもちゃ博物館や駄菓子屋さんなどレトロ風なお店もあり懐かしい感じです。

 

いよいよ帝釈天

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山門から彫刻がすごいです

 

何度かお参りしている柴又帝釈天ですが、今回のお目当ては「彫刻ギャラリー」

今まで知らなかったのがもったいないくらい素晴らしいところでした!

まずは本堂でお参りをすませ、右手奥の受付へ。

 

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気になったおみくじ

獅子舞がおみくじを運んでくれるというのが気になったけどチャレンジせず。

 

圧巻!彫刻ギャラリー

庭園と彫刻ギャラリーの拝観料は大人一人400円ですが、お値段以上の素晴らしさ。

本当に見ごたえありました。

 

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この奥が彫刻ギャラリー

 

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お堂の外壁が彫刻で飾られています

上の段から天人図、説話彫刻図、千羽鶴図、階下に花鳥図、亀図があり、まず回廊をまわって上の段を見学した後、階下の見学をします。

こちらは大正末期から昭和初期にかけて完成したもので、幾人かの彫刻師の技の競い合いのようで本当に素晴らしかったです。

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塔供養の図

奥行きがどれくらいあるのー?と驚嘆するしかない彫刻。

ちゃんと説明もあります。

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それぞれの説話彫刻の説明があります

遠くから迫力を感じて近くからその精巧さを感じて楽しみも倍増です。

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超絶技巧です

私は以前木彫をならっていたことのあるので、どれくらい大変かが分かるのです。

といっても、私がこれほどのものを彫ることはできませんが(波を1つ彫るのでさえやっとでした)、奥行きの深さにため息ばかり出ます。

木彫をやっていなかった師匠も驚いていました。

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風神・雷神がいます

 

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象に乗った普賢菩薩

本当に表情や動作も多様で生き生きとしていて見ていて飽きません。

 

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下段の千羽鶴

波や植物の繊細さが素晴らしいです

 

階段を降りて、次は下の回廊を見学します。

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四隅に龍

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花鳥図と亀図

 

もとは大正11年に加藤寅之助が「法師守護の図」を完成させ、残りを東京在住の彫刻家で仕上げようと企図したものの関東大震災で集めた欅が焼失、

改めて全国から欅材を集め、彫刻家たちが競い合って昭和9年に完成したというもの。

以前は野ざらしで金網越しだったものを、建物をたて回廊をめぐらし直接見られるようになったというのがありがたいです。

邃渓園

彫刻ギャラリーのあとは、境内に隣接する庭園を見学します。(料金は含まれています)

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邃渓園

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池に亀がいました

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大客殿からお庭を見る